新田 広一郎(にった こういちろう、1966年12月22日 - )は、日本の実業家[2]。元サッカー選手。徳島県徳島市津田町出身。順天堂大学卒業。
来歴
小学3年生のときからサッカーを始める[2]。その後攻撃的ミッドフィールダーとして活躍、徳島商高時代には徳島県代表として3年連続で全国高等学校サッカー選手権大会出場、日本ユース代表[2]。その後、順天堂大学に進み卒業[2][3]。
1989年に地元大塚製薬に入社、同社サッカー部(徳島ヴォルティスの前身)に入部[2]。同年、チームは四国サッカーリーグ優勝、翌1990年には日本サッカーリーグ2部昇格を果たす。その後ジャパンフットボールリーグでプレーした後、1993年に現役引退[2][3]。
2008年、J2昇格後3年連続で最下位となったため引責辞任した髙本浩司の後を受け、徳島ヴォルティス代表取締役社長に就任した[2][3]。任期中、2013年末にはチーム歴史上初となるJ1昇格に導いている[4]。2015年2月27日付けで退任[5]。
略歴
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | (リーグ杯) | (オープン杯) | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | 大塚 | 四国 | - | ||||||||
1990-91 | 6 | JSL2部 | 25 | 4 | 1 | 0 | |||||
1991-92 | 6 | 10 | 0 | 1 | 0 | ||||||
1992 | 6 | 旧J1 | - | ||||||||
1993 | 6 | - | |||||||||
通算 | 日本 | JSL2部 | 35 | 4 | 2 | 0 | |||||
日本 | 旧JFL | - | |||||||||
日本 | 四国 | - | |||||||||
総通算 | 2 | 0 |
- JSL(2部)初出場:1990年9月9日 対NTT関東戦 (浦和市立駒場陸上競技場)
- JSL(2部)初得点:1990年9月9日 対NTT関東戦 (浦和市立駒場陸上競技場)
脚注
- ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p79
- ^ a b c d e f g “J2・徳島ヴォルティス新社長に就任した新田広一郎(にった・こういちろう)さん”. 徳島新聞 (2008年12月11日). 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月8日閲覧。
- ^ a b c d “”. 徳島新聞 (2008年11月20日). 2009年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月8日閲覧。
- ^ a b “スポーツ屋台村”. スポーツタイムズ (2013年12月12日). 2014年8月8日閲覧。
- ^ “徳島ヴォルティス株式会社代表取締役社長交代のお知らせ”. 徳島ヴォルティス (2015年2月27日). 2015年3月1日閲覧。
参考資料
関連項目
外部リンク
- 新田広一郎 (@nitta_koichiro) - Twitter