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汐留駅 (国鉄)

汐留駅(しおどめえき)は、東京都港区東新橋1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)のである。東海道本線の貨物支線(東海道貨物線)上にあった。

汐留駅
浮世絵に描かれた開業当初の駅舎
しおどめ
Shiodome
品川 (4.9 km)
所在地 東京都港区東新橋一丁目
北緯35度39分57秒 東経139度45分41秒 / 北緯35.66583度 東経139.76139度 / 35.66583; 139.76139座標: 北緯35度39分57秒 東経139度45分41秒 / 北緯35.66583度 東経139.76139度 / 35.66583; 139.76139
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 東海道本線貨物支線
東海道貨物線
キロ程 4.9 km(品川起点)
電報略号 トメ
開業年月日 1872年10月14日[1]
明治5年9月12日)
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 1914年 新橋駅(初代)から改称
(テンプレートを表示)
1974年の汐留駅。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

概要

1872年10月14日明治5年9月12日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋駅(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、当時のホーム構造は頭端式ホームだった。長らく東京ターミナル駅として機能し、1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した「鉄道唱歌」では「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」と歌われた。

1873年(明治6年)9月には、当駅と横浜駅(初代・現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車無蓋車を使用していたという。

しかし、1914年大正3年)12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京駅に移り、旅客営業が廃止された[1]。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり[3]汐留駅と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森駅が、新橋駅(2代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった[4]

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により開業時からの駅舎は焼失し、その後1934年昭和9年)3月に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎に建て替えられた。

 
各種のコンテナでにぎわっていた時代の、私有コンテナ風景。
画像の中央上部右側には東京タワーと、今は無き汐留名物の土星ネオン看板が見える。
元、汐留貨物駅にて、1975年4月撮影。

1959年(昭和34年)に当駅 - 梅田駅間で日本初の(コンテナ)専用貨物列車「たから号」が運転されるようになり、1964年(昭和39年)には東京駅の小荷物機能を移転し、小荷物取扱を開始した。その後は、関西地方山陽地方九州方面へ向かう貨物列車荷物列車ターミナル駅として君臨し続けたが、荷物輸送が宅配便の登場で衰退し、貨物輸送は年を追うごとにコンテナ列車中心へと変化していった。しかし、後記するように東海道新幹線開業に関連して敷地の一部を提供したことも相まって、状に広がっていた駅敷地が狭くなってしまった。これにより結果として、年々増加する荷役や保管に際して広大な敷地を必要とする、大小さまざまなコンテナの取扱量に対応できず、やがて鉄道による荷物輸送が1986年(昭和61年)11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(1973年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。

なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の頭文字を取った大汐線(おおしおせん)という通称がある。また駅構内から芝浦駅東京市場駅への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間から、そのまま築地市場への線路が延びていた。

変わったところでは、1985年(昭和60年)に運行を開始したカートレインは、当駅と鹿児島本線東小倉駅間で運行しており、1986年(昭和61年)の駅廃止直前まで、同列車の東京方始発・終着駅として利用され(その後恵比寿駅に、末期は浜松町駅に変更)、こちらから発着する団体専用列車も運転されたこともある。

歴史

 
3代目歌川広重「新橋ステイション」
 
明治期の旧新橋駅のにぎわい
  • 1872年10月14日明治5年9月12日) - 新橋駅(初代)として開業。初日は式典と明治天皇御座乗お召し列車運行のみで、実際の営業は翌日から。
  • 1873年(明治6年)9月15日 - 貨物の取扱を開始。
  • 1914年大正3年)12月20日 - 東京駅開業に伴い旅客営業を廃止、汐留駅に改称。
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
  • 1934年(昭和9年) - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事を実施。
  • 1952年(昭和27年)10月17日 - 当駅と東横浜駅の間に5500形蒸気機関車が牽引する国鉄80年記念列車「一声号」が運行される[5]
  • 1954年(昭和29年)9月1日 - 小荷物(特別扱雑誌に限る。)の取扱を廃止[6]
  • 1959年(昭和34年)11月5日 - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - 梅田駅間でコンテナ専用貨物列車「たから号」が運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
  • 1963年(昭和38年)1月1日 - 営業範囲を「貨物。ただし、散積の鉱石、石炭および野菜類ならびに活鮮魚(一塩のものを含む)の到着は取り扱わない。」から「貨物。ただし、次の貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む)ならびに散積の石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物。2.木材、薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正する[7]
  • 1964年(昭和39年)10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次のものは取り扱わない。発送手荷物および小荷物(特別扱新聞紙および雑誌を除く。)到着駅留手荷物および小荷物活鮮魚(一塩のものを含む。)ならびにばら積みの石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物木材薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正し[8]小荷物取扱を開始。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 東海道新幹線建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われてこの頃完成する。
    • 10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、手荷物および小荷物は次のものに限る。発送:特別扱新聞紙・雑誌、到着:配達扱のもの(駅渡しとなるものを含む。)。次の到着貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)。2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱の木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する[9]
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次の到着貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)。2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱となる木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する[10]
  • 1972年(昭和47年)10月14・15日 - 当駅と東横浜駅桜木町駅に隣接)の間で、C57形蒸気機関車が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」が運行される。
  • 1974年(昭和49年)10月1日 - 営業範囲を「荷物、貨物。次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類。2.車扱による木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する[11]
  • 1978年(昭和53年)10月2日 - 営業範囲を「荷物、貨物。貨物は、次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類。2.車扱による木材・薪・炭類・砂利・砂。」へ改正する[12]
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 営業範囲を「貨物、車扱貨物。車扱貨物は、次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類。2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する[13]
  • 1985年(昭和60年)7月27日 - 汐留駅 - 東小倉駅間でカートレインの運行を開始。営業範囲を「旅客、荷物、車扱貨物。ただし、旅客はカートレインに有効な乗車券類所持者に限る。車扱貨物は、次の到着を除く。ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類。2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する[14]。旅客営業再開。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 廃止[2][15]

廃止後

 
 
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
 
旧新橋停車場の転車台基礎

廃止後もしばらくの間、線路などの設備は残存していた。築地市場への貨物輸送は1987年(昭和62年)1月31日まで行われた他、同年4月1日には蒸気機関車の汽笛で日本国有鉄道(国鉄)の終焉とJRの発足を告げる(国鉄分割民営化イベントが同地で行われた。その後も1988年(昭和63年)のオリエント急行車両展示のようにイベントに活用されることもあった。

民営化後、旧汐留駅跡地は日本国有鉄道清算事業団へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では(民活)と呼ばれる民間資本の導入が検討され、中曽根康弘内閣の行政改革政策の象徴ともなった。

しかし、東京の都心部にある31ヘクタールに及ぶ土地売却は「バブル景気による地価高騰が更に過熱する」という理由で、その実施は延期され、いわゆる塩漬け状態で、空き地のまま放置された。しかも、結局はバブル崩壊による地価暴落後に、安値での土地売却と買い叩かれる結果に終わり、日本国政府による長期債務返済計画は、大きく狂った。

実際の再開発工事は1995年(平成7年)から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、2002年(平成14年)以降には、同跡地に汐留シオサイトとして、事業者用の超高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめ都営大江戸線汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。

旧新橋停車場跡

跡地は、1965年(昭和40年)5月12日に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定され[16]1996年平成8年)12月10日に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した[17]発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され[18]2003年(平成15年)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられ、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。

内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。その後、中華料理店「Imperial Treasure」を経て銀座ライオンが出店したが、2022年に閉店した。

汐留駅として営業していた当時の1936年(昭和11年)、鉄道建設時の測量起点となる最初の杭が打たれた位置に「0哩(マイル)標」と3メートルのレールがモニュメントとして設けられ、1958年(昭和33年)に鉄道記念物の指定を受けた。再開発に伴いこのモニュメントも再整備され、旧新橋停車場の裏手に残されている。

その他

  • 鉄道博物館内に設けられたミニ運転列車の駅のひとつに、この駅にちなんで汐留の名が付けられた。

隣の駅

東海道本線 東海道貨物線
汐留駅 - 東京貨物ターミナル駅
汐留駅 - 品川駅
汐留駅 - 東京市場駅(1984年2月1日廃止)
汐留駅 - 芝浦駅(1985年3月1日廃止)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 土木学会日本土木史編集委員会 『日本土木史:昭和16年-昭和40年』 土木学会、1973年4月。
  2. ^ a b “「地域密着」順調にスタート 国鉄最後の61・11ダイヤ改正”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1986年11月2日) 
  3. ^ 「新橋は貨物駅に」明治33年10月17日日本新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 鳥海基樹「我国戦前における近代建築保存概念の変遷に関する基礎的研究」(東京大学大学院都市工学専攻 1994年度修士論文)
  5. ^ 「国鉄80年記念」『Romance Car』No.21・23合併号、112-113頁(復刻アテネ書房、1983年)
  6. ^ 1954年(昭和29年)8月26日日本国有鉄道公示第244号「東海道本線笹島停車場等における小荷物の取扱廃止」
  7. ^ 1962年(昭和37年)12月27日日本国有鉄道公示第653号「東海道本線汐留停車場における営業範囲を改正する件」
  8. ^ 1964年(昭和39年)9月28日日本国有鉄道公示第441号「営業範囲を改正」
  9. ^ 1965年(昭和40年)9月29日日本国有鉄道公示第571号「停車場の営業範囲を改正」
  10. ^ 1968年(昭和43年)9月30日日本国有鉄道公示第386号「停車場の営業範囲を改正」
  11. ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」
  12. ^ 1978年(昭和53年)9月29日日本国有鉄道公示第122号「駅の営業範囲の改正」
  13. ^ 1984年(昭和59年)1月30日日本国有鉄道公示第174号「駅の営業範囲の改正」
  14. ^ 1985年(昭和60年)7月19日日本国有鉄道公示第54号「駅の営業範囲の改正」
  15. ^ 1986年(昭和61年)10月30日日本国有鉄道公示第139号「駅の廃止」
  16. ^ 1965年(昭和40年)5月12日文化財保護委員会告示第24号「史跡旧新橋横浜間鉄道創設起点跡を指定する件」
  17. ^ 1996年12月10日文部省告示第205号「史跡の指定地域を一部解除し、地域を追加して指定し、名称を改める件」
  18. ^ “「旧新橋停車場跡」保存・復元へ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1998年3月20日) 

参考文献

  • 福田敏一『新橋駅の考古学』(雄山閣、2004年) (ISBN 4-639-01840-1)
  • 福田敏一『新橋駅発掘 考古学からみた近代』(雄山閣、2004年) (ISBN 4-639-01857-6)
  • 山田亮「汐留駅と東京の臨港鉄道 歴史と現状
  • 向坂唯雄「田端・品川界わい 入換機関車の運転台から」 その4~6 品川編
  • 相田圭介「東京・大阪・名古屋の貨物線」
    • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2008年9月号 No.808 pp.14 - 15

関連項目

外部リンク

  • 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 (東日本鉄道文化財団サイトより)
  • 国指定文化財等データベース 文化庁
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