新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )は、神奈川県相模原市出身[1]の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
相模原市立上溝中学校への入学時から、シニアリーグの「相模原南シニア」に所属。当時のチームメイトである市川友也とは、後に日本ハムでもバッテリーを組んでいる[5]。もっとも、相模原南シニアでのプレーは1年足らずで、後に中学校の野球部へ入部。2年時からエースを任されると、3年時には神奈川県大会で優勝した。この優勝によって臨んだ関東中学校軟式野球大会では、準決勝で成瀬善久を擁する小山市立桑中学校に勝利したが、決勝戦で千葉県旭市立第二中学校に敗れた。さらに、後に出場した全国中学校軟式野球大会では、鈴木将光が1年生ながら4番打者を務めていた北信越代表の星稜中学校と初戦で対戦している。
国士舘高校への進学後は、3年春の第75回選抜高等学校野球大会に出場。チームの初戦であった愛工大名電高校との2回戦では、先発の久古健太郎の後を受けて登板する[6]と、2イニングを自責点0に抑えた[7]。
横浜商科大学への進学後は、3年時に、神奈川大学野球リーグで春季・秋季ともベストナイン(投手)に選ばれた[8]。在学中には、リーグ戦で通算44試合に登板。通算投球イニングは257回2/3で、18勝7敗、防御率2.10という成績を残した[7]。同期生には、後に日本ハムでもチームメイトになる根本朋久、1学年後輩に山崎憲晴がいた。
大学卒業後に入社した東芝では、1年目に肩、2年目に肘、3年目の春に背筋を痛めた[9]。それでも、3年目に出場した第81回都市対抗野球大会では、2回戦と準決勝に先発で登板。2試合通算で12回を投げると、被安打9、与四死球3、奪三振17、自責点4という成績で、チームの優勝に貢献した[10]。投手陣のリーダーになった4年目[11]には、第82回都市対抗野球大会の1回戦に先発で登板すると、9回を被安打3、与四死球1、奪三振9、自責点0に抑える好投で完封勝利を挙げた[12]。5年目に出場した第83回都市対抗野球大会では、1試合に先発するなど3試合に登板。3試合通算で14回を投げると、被安打12、与四死球0、奪三振13、自責点という好成績で[13]、大会優秀選手に選ばれた[14]。
2012年のNPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズに5巡目で指名[15]。契約金5,000万円、年俸900万円(金額は推定)という条件[16]で入団した。背番号は28[17]。なお、入団時点の年齢は27歳で、この会議を経てNPBの球団へ入団した選手で最も高かった[1]。
日本ハム時代
2013年には、4月9日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)に、先発投手として一軍公式戦にデビュー。4回1/3を投げ、2本の本塁打を含む10被安打で7失点し敗戦投手となる[18]。一軍公式戦にはこの試合に登板しただけで、イースタン・リーグ公式戦で、13試合の登板で2勝5敗、防御率5.97[19]。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦24試合に登板すると、チーム最多の6勝をマーク[20]。一軍公式戦では先発で2試合に登板した[21]が、勝敗は付かなかった。
2015年には、8月19日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に先発すると、5回2失点という内容で一軍公式戦初勝利を挙げた。当初先発が予告されていたルイス・メンドーサが急性扁桃炎の影響で登板を回避したことによる緊急登板[1][22]で、予告先発投手の変更によって急遽先発した投手に白星が付いた事例はNPB公式戦史上9例目、この白星で一軍公式戦での初勝利を記録した投手は史上3人目であった[1]。一軍公式戦には通算で3試合に登板したものの、成績は1勝2敗で、上記の白星が現役時代における一軍公式戦唯一の勝利になった。
2016年には一軍公式戦4試合、2017年には1試合に登板したが、いずれも勝敗は付かなかった。
2018年には、4月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)に救援投手として登板しただけで、6月に右肘を手術。シーズンの後半をリハビリに充てたうえで、10月開催のフェニックスリーグから実戦に復帰した[23]ものの、リーグ閉幕後の10月30日に球団から戦力外通告を受けた[24]。新垣自身は、通告当初NPB他球団での現役続行を希望したため、11月13日に(シートバッティング)形式の12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)へ参加。3人の打者に対して、四球を1つ出しながらも安打を許さなかった[25]が、NPB他球団から獲得のオファーを受けられなかった。12月2日、自由契約公示された。結局、古巣の東芝から投手コーチとしての復帰を打診されたことを機に、「NPBで活躍できる選手を育てたい」との思いに至り現役を引退[26]。
引退後
2019年シーズンから2022年まで、かつてプレーしていた東芝の投手コーチを務めた。
2023年1月16日、北海道フロンティアリーグの士別サムライブレイズ(2月1日付でKAMIKAWA・士別サムライブレイズに改名)のスペシャルアドバイザーに就任したことが発表された[27]。
選手としての特徴
人物
大学3年生時に本格的に始めた将棋が趣味[29]。テレビの将棋番組を毎日録画し、研究している[30]。通常の対戦は10手先、詰将棋では13手先まで読めるという[1]。
日本ハム時代には、一発芸をたびたび披露するなど、「ムードメーカー」「ギャグモンスター」として球団関係者やファンから人気を博していた。シーズン終了後に札幌ドームで催される球団行事の「ファンフェスティバル」では、2016年にMVPを獲得した。2017年にはウイルス性急性結膜炎を患った影響で参加を見送ったものの、戦力外通告を受けた直後(11月24日)に開催された2018年のファンフェスティバルにも、MVP(鶴岡慎也)へのプレゼンターとして、自身の登場曲まつり (北島三郎の曲)に合わせて踊りながら表彰式に乱入。(戦力外通告を受けた選手がファンフェスティバルに参加するのは異例)「やっぱりMVPは僕です」と勝手に宣言したり、「(12球団合同トライアウトへ参加したのにフェスティバルの参加時点で)まだ(他球団から)連絡が全然来ないです」と近況を大声で明るく報告したりするなどのパフォーマンスで、場内の爆笑を誘った[31]。
また現役引退後も日本ハムとの関係が切れたわけではなく、2021年からは球団公式のYouTubeチャンネル内で「カキのタネ」という動画企画を担当しており、監督や編集なども自らで行っている[32]。2022年12月からは、自身のYouTubeチャンネルの投稿を開始している。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本ハム | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 24 | 4.1 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 7 | 14.54 | 2.31 |
2014 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 23 | 4.0 | 7 | 2 | 2 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 10 | 7 | 15.75 | 2.25 | |
2015 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 46 | 11.0 | 14 | 5 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.55 | 1.36 | |
2016 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | --- | 39 | 9.1 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.16 | 1.29 | |
2017 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | --- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
2018 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 11 | 2.0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9.00 | 2.50 | |
通算:6年 | 12 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 147 | 31.2 | 48 | 10 | 4 | 0 | 2 | 22 | 0 | 0 | 31 | 28 | 7.96 | 1.64 |
記録
- 初登板・初先発登板:2013年4月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(東京ドーム)、4回1/3を7失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に枡田慎太郎から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2015年8月19日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(QVCマリンフィールド)、5回2失点
背番号
- 28 (2013年 - 2018年)
登場曲
脚注
- ^ a b c d e f 日本ハム新垣「再出発」緊急昇格&緊急先発プロ1勝 日刊スポーツ 2015年8月20日紙面から
- ^ a b 『会社設立のお知らせ』(プレスリリース)カキシード、2020年7月31日2023年2月18日閲覧。 。
- ^ 元日本ハム・新垣 古巣・東芝投手コーチに 同社が発表 スポーツニッポン 2018年12月13日掲載
- ^ 元日本ハム・新垣勇人氏が目指す〝球界イチのマルチな男〟「楽しく、面白いことがしたい」 東スポWEB 2023年1月2日掲載
- ^ “中学時代の同僚”ハム市川 攻守で新垣援護 昨季巨人から移籍 スポニチ Sponichi Annex 2015年8月20日掲載
- ^ 2013年度北海道日本ハムファイターズ選手名鑑 28 新垣 勇人 スポニチ Sponichi Annex
- ^ a b 別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2013 宝島社発行 111頁
- ^ 選手成績 '06年 春季リーグ、選手成績 '06年 秋季リーグ 神奈川大学野球連盟
- ^ 東芝の149キロ男・新垣が11K/都市対抗 日刊スポーツ 2010年9月3日紙面から
- ^ 第81回 都市対抗 本大会 9月2日 東京ドーム 第3試合 2回戦、9月6日 東京ドーム 第1試合 準決勝 公益財団法人 日本野球連盟
- ^ 4年目149キロ右腕・新垣3安打完封 スポニチ Sponichi Annex 2011年10月23日掲載
- ^ 第82回 都市対抗 本大会 10月22日 京セラドーム大阪 第1試合 1回戦 公益財団法人 日本野球連盟
- ^ 第83回 都市対抗 本大会 7月17日 東京ドーム 第2試合 1回戦、7月19日 東京ドーム 第2試合 2回戦、7月21日 東京ドーム 第3試合 準々決勝 公益財団法人 日本野球連盟
- ^ 第83回都市対抗野球表彰選手一覧 公益財団法人 日本野球連盟 (PDF)
- ^ 「2012年新人選手選択会議」交渉権獲得選手のお知らせ 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ 2012年10月25日配信
- ^ 日本ハム 5位・新垣と合意 契約金5千万、年俸900万円 スポーツニッポン2012年11月15日掲載
- ^ 2012年新入団選手発表 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ 2012年11月22日配信
- ^ 【日本ハム】ドラ5新垣初登板ほろ苦KO 日刊スポーツ 2013年4月9日掲載。2013年4月9日 北海道日本ハム 対 楽天イーグルス 成績詳細 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ
- ^ 2013年度 北海道日本ハムファイターズ 個人投手成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2014年度 北海道日本ハムファイターズ 個人投手成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2014年5月26日 巨人 対 北海道日本ハム 成績詳細 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ。2014年10月2日 埼玉西武 対 北海道日本ハム 成績詳細 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ
- ^ 2015年8月19日 千葉ロッテ 対 北海道日本ハム 成績詳細 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ
- ^ 日本ハム退団の新垣勇人が現役引退、東芝コーチ就任 日刊スポーツ 2018年12月13日掲載
- ^ 来季契約について 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ 2018年10月30日掲載
- ^ 48人が参加 プロ野球合同トライアウト/詳細 日刊スポーツ 2018年11月13日掲載
- ^ 【日本ハム】新垣、社会人野球の東芝コーチに 「プロで活躍できる選手を育てたい」 スポーツ報知 2018年12月31日掲載
- ^ 新垣勇人スペシャルアドバイザー就任のお知らせ - 士別サムライブレイズ(2023年1月16日)2023年1月16日閲覧。
- ^ ドラフト情報2012 北海道日本ハムファイターズ球団ホームページ
- ^ a b ハムドラ5新垣 栗山監督と一局指したい 日刊スポーツ 2013年1月10日紙面から
- ^ ハム ドラ5新垣開幕ローテへ勝負手駆使 日刊スポーツ 2012年11月16日紙面から
- ^ 日本ハム退団の新垣がファンフェスで異例の大暴れ 日刊スポーツ 2018年11月24日掲載
- ^ 【カキのタネ】なぜか新垣勇人が公式チャンネル登場!監督・出演・編集は新垣本人。一体何が起きる!?
- ^ 2016年選手登場曲 2016年10月26日, at the Wayback Machine..北海道日本ハムファイターズ.2016年12月3日閲覧。