文 益漸(ムン・イクチョム、ぶん えきぜん、朝鮮語: 문익점、1329年 - 1398年)は、高麗末期から李氏朝鮮初期の文官。字は日新、号は三憂堂。丹城の人[1]。本貫は(南平文氏)[2]。
1329年、貴族の次男として出生し、12歳の時に李穀の門下生となる。1360年に科挙に合格、1363年に使節の随員として元に赴く[3]。当時の元は、綿花の種子の他国への持ち出しを禁止していたが、元の農業書を勉強していた文益漸は農業に関心を抱き、帰国する際に木綿の種子・糸車・糸繰り・機織の技術や用具を持ち帰り[1]、帰国後に漢人の僧侶の手助けの下、綿花の栽培を始めた[3]。
評価
- 大韓民国文化体育観光部のこの月の文化人物に選定される。
- 韓国を輝かせた100名の偉人たちに選定される。
脚注
参考文献
- 岸本美緒、宮嶋博史『明清と李朝の時代 「世界の歴史12」』中央公論社、1998年。ISBN (978-4124034127)。p114
- 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年 (ISBN 4-7503-1607-5)