文政近江地震(ぶんせいおうみじしん)は、1819年8月2日(文政2年6月12日) の未の下刻頃(15時頃)に、本州中部で発生した大地震である。
概要
1819年8月2日(文政2年6月12日) の未の下刻頃(15時頃)、伊勢・美濃・近江で大地震が発生[3][4]。地震の規模はM7+1⁄4±1⁄4又はM6.9であった[5]。近江八幡周辺(現在の滋賀県)や木曽三川の輪中地帯(現在の岐阜県・三重県・愛知県)などで被害が大きく、名古屋や京阪奈を含む中部地方西部から近畿地方にかけての広範囲に被害が及んだ[6]。琵琶湖の東岸を中心に、家屋の全壊が相次ぎ、多数の死者が出た[7]。しかし、余震はほとんど起こらなかった[8]。
この地震の震源地については諸説あるが、宇佐美(2003)は琵琶湖東方の 136.3°E,35.2°N が震央だと推定し、M=71⁄4と算定している[8]。
地震の種類
地震そのものと既存の活断層との関係が不明であることもあり[6]、この地震の種類は、上部地殻内地震(内陸直下型地震)ではなく,琵琶湖付近まで沈み込むフィリピン海プレートの内部で発生したスラブ内地震であると指摘されている[9][8]。
震度
この地震で観測された震度は、現在の震度階級にすると、滋賀県水口や三重県桑名では震度6であった可能性があり、滋賀県のほぼ全域で震度5であったと推定されている[6]。
脚注
- ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日)2020年12月2日閲覧。
- ^ 宇佐美 (2003)
- ^ “災害の歴史 - 京都市市民防災センター -”. www.kyotobousai-c.com. 2020年10月20日閲覧。
- ^ 武者金吉「文政二年伊勢近江地震に就て」『地震 第2輯』第3巻第9号、日本地震学会、1931年、528-538頁、doi:10.14834/zisin1929.3.528、ISSN 0037-1114、NAID 130004047604。
- ^ 神田克久,武村雅之:南海トラフ沿いの沈み込むスラブ内で発生した歴史地震の震度による地震規模推定 歴史地震・第28号(2013) (PDF)
- ^ a b c “彦根地方気象台|滋賀県内の地震観測-過去の地震の被害”. www.jma-net.go.jp. 2020年10月20日閲覧。
- ^ “滋賀県の地震活動の特徴 | 地震本部”. www.jishin.go.jp. 2020年10月20日閲覧。
- ^ a b c 石橋克彦, 「1819年文政近江地震の全史料の表」『歴史地震』 第26号 2011年, p.65-83。
- ^ 石橋(1999)