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来歴
元々漫画家志望だったが、断念しアニメ業界に入ることになる。1970年にオープロタグションに入社。小松原一男、村田耕一に師事する。
主に初期の宮崎駿、高畑勲作品や世界名作劇場に携わる。オープロダクションの自主制作となった『(セロ弾きのゴーシュ)』(高畑勲監督、1982年公開)では、5年以上の制作期間をかけて[1]、キャラクターデザインと原画をほぼ一人で担当した[2]。同作は1982年度の毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞している[3]。
2018年現在も『ちびまる子ちゃん』の作画監督を務めている。
脚注
- ^ 〈特集〉高畑勲とその時代 ~「80年代の高畑」を振り返る~ - 京都大学新聞(2013年12月16日)
- ^ アニメーションの世界/才田俊次 「セロ弾きのゴーシュ」展 - 東京工芸大学(2015年11月13日)
- ^ 第36回毎日映画コンクール - 毎日新聞