地理
所沢市中南部に位置する。北で星の宮・南住吉、東で北秋津、南東で東京都東村山市久米川町、南で松が丘、西で荒幡・北西で山口と隣接する。また北東側に飛地を持ち、北でくすのき台、東から南にかけて北秋津、西で東住吉と隣接する。西南部の鳩峯公園周辺は狭山丘陵の一部となっており、ナショナル・トラストによる『トトロの森2号地』など、豊かな自然が広がる。
河川
- 柳瀬川 - 勢揃橋が架かる。
- 大谷川 - 柳瀬川支流。
- 境川 - 柳瀬川支流。
湖沼
- 弁財池 - 永源寺境内にあたる。
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、久米字東1450番17の地点で14万6000円/m2となっている。[4]
歴史
「久米村 (埼玉県)」も参照
吾妻村が所沢町と合併した1943年(昭和18年)頃の大字久米は、現在の南住吉・東住吉・西住吉・星の宮・松が丘・くすのき台・金山町の一部を含む広大な範囲だったが、1965年から1993年にかけて町名変更や住居表示の実施により、少なからぬ部分が失われている。
地名の由来
かつて久米某と名乗るものがこの地に居住したためとされる[5][6]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、所沢町が入間郡久米村の一部(字金山)、上新井村の一部(字本宿)を編入・所沢町の一部(字開発・字稲荷久保)を分離のうえ単独で町制を施行。字金山が所沢町大字久米となる[7][5]。この頃の人口331人[7]。同時に入間郡久米村の残余が単独で村制を施行。人口751人[5]。大字は持たなかった[5]。北秋津村、荒幡村と町村組合を結成し、吾妻組合村となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 所沢町が吾妻村・小手指村・富岡村・山口村・松井村と合併し、改めて所沢町が発足。(旧)所沢町大字久米と1891年(明治24年)5月1日に合併によって吾妻村大字(久米)となった旧・入間郡久米村が統合されて(新)所沢町大字久米となる[5]。
- 1950年(昭和25年)11月3日 - 所沢町が市制施行して所沢市となる。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 住居表示実施に伴う町名変更より、一部が西所沢の一部となる。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴う町名変更により、一部が星の宮の一部となる。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 住居表示実施に伴う町名変更により、一部から東住吉・西住吉・南住吉を新設。
- 1968年(昭和43年)8月1日 - 住居表示実施に伴う町名変更により、一部が日吉町の一部となる。
- 1986年(昭和61年)11月2日 - 区画整理実施により、北東部がくすのき台一丁目の一部となる。
- 1993年(平成5年)10月15日 - 町名・地番変更実施により、南西部に松が丘が起立。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
交通
鉄道
西武新宿線・西武池袋線が通るが、駅は設置されていない。所沢駅が最寄り駅となる。
バス
タクシー
- 西武ハイヤー所沢営業所
- 西武ハイヤー・所沢交通 共同無線配車センター
道路
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施設
脚注
- ^ a b “最新の人口について”. 所沢市 (2017年10月17日). 2017年10月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1988年7月再版、P342。
- ^ 新編武蔵風土記稿 久米村.
- ^ a b 『町村編制区域表他(新編 埼玉県史 別編5 統計 附録)』、埼玉県、1982年3月。P13。
- ^ “住所別通学区域一覧表”. 所沢市. 2017年10月20日閲覧。[]
- ^ 永源寺-所沢市観光協会[]、2012年10月22日閲覧。
参考文献
外部リンク
- ようこそ吾妻公民館へ(吾妻公民館ホームページ)