戸邉 香奈実(とべ かなみ、1993年10月6日 - )は、茨城県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第124期生。師匠は(戸邉裕将)(72期)。
来歴
実父の戸邉英雄(51期)、祖父の戸邉弘(8期。故人)はともに元競輪選手で、自身は三世選手に当たる[注釈 1]。ほかにも、親族では師匠でもある戸邉裕将(72期)、山口翼(98期)が競輪選手、戸邉純一(24期)が元競輪選手という、競輪一家。
競輪一家で生まれ育つが、選手になるまではそもそも競輪のみならずスポーツには一切興味がなく、高校での部活は茶道部、箏曲部であり、スポーツの経験自体が一切なかった[1][2]。学生時代に興味があったのは語学で、品川エトワール女子高等学校在学中はアメリカに1年間語学留学の経験がある[3]ほか、ロシア語にも興味を覚えロシア語を学ぶため京都産業大学に進学後は「ロシアミッション学生交流事業」[注釈 2]によりロシアを訪問しただけでなく[4]、大学卒業後はロシアから国費留学生の指定を受けてロシアに留学した経験もある[2]。そのため、日本語のほか英語、ロシア語が話せる(トリリンガル)の才女でもある。
日本語教員の資格も持っていたため、ロシアからの帰国後は在日外国人に対する日本語講師をしていたが、コロナ禍で自身の仕事が下火となったことで他に何か面白いことをしたいと考えたときに、競輪一家としての家系を絶やすのは忍びないと感じて養成所の受験を決意。記念受験のつもりで、それまでスポーツ経験がなかったこともあり適性で受験したが、実質1か月間のトレーニングを経て2022年1月13日、養成所第124回生入所試験に合格[5][1][2]。
養成所での競走訓練成績は23人中22位(1勝)[6]と下位ながら、卒業認定考査では第2回、第3回にて同期の中で唯一2回連続「A判定」を叩き出した[7][1]ほか、背筋力と垂直跳びでは同期の中で1番の成績であった[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d “【宇都宮競輪・ルーキーシリーズ】学問の世界から競輪界へ 文化系女子がガールズケイリンを選ぶまで”. netkeirin (2023年5月1日). 2023年5月16日閲覧。
- ^ a b c d “ガールズケイリン界に飛び込む注目新人3選手 運動部経験ゼロながらも連続A評価のサラブレッドも”. 集英社(Sportiva) (2023年3月9日). 2023年5月16日閲覧。
- ^ “留学生お帰りなさい!”. 品川エトワール女子高等学校 (2010年9月3日). 2023年4月30日閲覧。
- ^ a b “戸邉 香奈実 さんが「ロシアミッション学生交流事業」に参加しました(8月22日~9月13日)”. 京都産業大学 (2016年2月15日). 2023年4月30日閲覧。
- ^ “日本競輪選手養成所第124回(女子)選手候補生入所試験合格者名簿” (PDF). JKA (2022年1月13日). 2023年5月25日閲覧。
- ^ “競走成績戦法別一覧表(第 124 回生)総合” (PDF). JKA (2023年3月2日). 2023年5月16日閲覧。
- ^ “記録会自己最高成績表(第 124 回生)” (PDF). JKA (2023年3月2日). 2023年5月16日閲覧。
外部リンク
- 選手情報: 戸邉 香奈実 - KEIRIN.JP
- 戸邉香奈実 (@kanami_keirin) - Twitter