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戦略情報局

戦略情報局(せんりゃくじょうほうきょく、Office of Strategic Services)略称:OSSは、第二次世界大戦中の情報機関特務機関アメリカ統合参謀本部の部局として戦線の敵側におけるアメリカ軍のためのエスピオナージスパイ活動)を調整するために設置され、他にプロパガンダ(転覆・破壊)(英語版)戦後に関する企画などを任務とした。

OSSの記章

Office of Strategic Servicesの日本語訳としては、戦略情報局[1][2]の他、戦略諜報局[3][4]戦略任務局戦略事務局などがある。

情報調整局(Office of the Coordinator of Information、OCOI)の後身の1つとして、設置された1942年6月13日から解散された1945年9月20日まで活動し、長官を前身の情報調整官Coordinator of Information、COI)だったウィリアム・ドノバン少将が続投して解散まで一貫して務め[5]、その後に曲折を経て現在の中央情報局(CIA)の前身となった。

2016年12月14日、過去に遡って組織・集団として議会名誉黄金勲章を授与された。

概要

 
ウィリアム・ドノバンOSS長官(1945年頃)

草創期は陸軍の将兵を機関員に充てていた。しかし、第二次世界大戦に参戦してからは大学生等を多数徴募し、彼らを機関員として育成した。戦中は主に戦略情報の収集や分析、諜報及び特殊活動を担当した。ヨーロッパ戦線、太平洋戦線に多数の機関員をおくり、枢軸国支配地域の全域に現地人によるレジスタンスの設立、及び破壊・撹乱工作を行ってきた。

機関員が良家ばかりであったので、「Oh So Social(オー・ソー・ソーシャル)」などと揶揄された。の(ジェームズ・ウォーバーグ)(英語版)モルガン家の者が在籍した[6]。2008年8月14日、米国立公文書館が公開した資料によって、日本で活躍した野球選手のモー・バーグや、俳優のスターリング・ヘイドン、映画監督のジョン・フォードらが工作員であったことがわかった[1]

第二次世界大戦の終結後、海外に派兵していたアメリカ軍の復員とともに組織自体も徐々に縮小した。SSU(戦略諜報部隊)、CIG(中央情報グループ)等の数次の変遷を経て1947年にCIAに改組した。

アメリカ亡命したワイマールドイツ知識人集団フランクフルト学派も、OSS顧問として戦後日本の統治の基本方針を築いたといわれる[7]。この学派のフランツ・レオポルド・ノイマンはOSSのドイツ課で辣腕を発揮したが、ベノナ文書でソ連スパイであったことが後に判明している。

主な活動

1942年にはオリビア計画[8]を策定、中国満州・米国在住の朝鮮人カナダの諜報学校で訓練し、対日戦線に送り込む計画であった。しかしこの秘密工作は、既に重慶で朝鮮人を支配下に置いていた蔣介石の情報機関「戴笠機関」と衝突し、ジョセフ・スティルウェルの反対もあって実現しなかった。

一方、タイ王国イギリスから爆撃されてピブン政権枢軸国の一員として宣戦布告した。しかし駐米大使セーニー・プラーモートが宣戦布告の通達を拒否した上、合衆国政府と計って留学生らを組織し抗日運動「自由タイ運動」を展開した。留学生の内21名がOSSに入隊し、タイ国内における諜報活動等の準備をすすめ、地下活動の訓練を受けた後、タイ国内に潜入し、終戦時には5万人以上のレジスタンスを組織するまでにいたった。なお、現在、タイ・シルクの有名ブランドである『ジム・トンプソン』の創立者ジム・トンプソンは、OSSのバンコク支局長としてタイに入国したのが、その後のビジネスを興す契機となった。

日本の真珠湾攻撃を受けたときは、寺崎英成が一家で訪れていたバージニア州アレクサンドリアのコリングウッドレストランを日系一世・二世要員の詰め所にした。このレストランは1974年に廃業した。3年後にフリーメイソンの米軍人支部が取得し、現在の Collingwood Library & Museum に改装された。一家は連邦捜査局(FBI)に引き離され、監視された[9]

二世部隊は、ビルマ周辺の山岳民族を組織してゲリラ部隊と協力して日本軍と戦い、海南島の捕虜収容所で捕虜を解放。その後香港へ向かい1945年9月16日、ペニンシュラホテルでの降伏調印式を見守った。ラルフ円福(Ralph Yempuku)もその一人だった。ハワイの興行プロモーターで、日米の橋渡しも果たした斯界の大物として知られる[10]。弟のドナルドは、日本で職を得て帰化してから、同じ場所で日本軍将校の通訳をしていた。そのとき敵である兄に声をかけられなかった[11]

ナチスドイツの降伏後、アメリカ側に投降した陸軍少将ラインハルト・ゲーレンのアメリカ密入国に関わり、対ソ諜報組織の「ゲーレン機関」を創設した。

参考文献

関連文献
  • 吉田一彦『情報で世界を操った男』新潮社、1997年
  • 太田茂『OSSの全貌―CIAの前身となった諜報機関の光と影』芙蓉書房出版、2022年

脚注

  1. ^ a b 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」記事
  2. ^ 【一筆多論】バチカンと外交協力深めよ 岡部伸 - 産経新聞(2019年11月26日配信、2021年4月16日閲覧)
  3. ^ 日本のスパイ養成「中野学校」をご存知ですか - 東亜日報(2021年4月3日配信、2021年4月16日閲覧)
  4. ^ CIAが採用している「スパイたちの意外な前職」とは - DIAMONDonline(2020年11月30日配信、2021年4月16日閲覧)
  5. ^ ドノバンの陰で次の4人が強く影響したといわれる。
    * ルイス・マウントバッテン
    * en:Charles Hambro, Baron Hambro
    * スチュワート・メンジーズ
    * en:William Stephenson
    参考文献は以下。
    * Richard Smith The Secret History of America's First Central Intelligence Agency Rowman & Littlefield, 2005/08/01 p/29. p.157. pp.265-268.
    * Douglas Waller Wild Bill Donovan Simon and Schuster, 2012/02/21 pp.141-143.
  6. ^ R. Harwood Nuremberg and other War Crimes Trials Historical Revew Press, 1978 p.9. ; Donald Gibson The Kennedy Assassination Cover-up Nova Publishers, 2000 pp.228-229.
  7. ^ 田中(2011)
  8. ^ : Project Olivia
  9. ^ 春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作 上』 共同通信社 2000年 pp.9-51.
  10. ^ 野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯』
  11. ^ トミ・カイザワ・ネイフラー『引き裂かれた家族』NHK出版

関連項目

外部リンク

  • The Office of Strategic Services: America's First Intelligence Agency — Central Intelligence Agency - CIA公式サイトのOSSの歴史(英文)
  • Records of the Office of Strategic Services, Washington Director's Office Administrative Files, 1941-1945 - 国立国会図書館が所蔵するOSS機密文書マイクロフィルムの情報
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