成瀬 映山(なるせ えいざん、1920年3月1日 - 2007年7月16日[1])は、日本の書家。東京都渋谷生まれ[2]。本名・栄三(えいぞう)[1]
日展参事、(読売書法会)顧問、謙慎書道会最高顧問などを歴任。(全日本書道連盟)顧問。(槙社文会)代表。(警視庁自警会)審査顧問。(現代書道二十人展)出品(朝日新聞社主催)。聖徳大学客員教授。勲四等旭日小綬章叙勲。
略歴
終戦直後、東横百貨店に入社[3]。宣伝部でチラシや商品につける札などを書いていた時、書道の講師に来ていた後の師匠青山杉雨に会う[4]。[[1950年|1950年[要出典]]]、青山杉雨に師事[3]。1964年、(日展特選)[[1950年|[要出典]]]。1987年「杜甫詩」で日展内閣総理大臣賞[3]。1992年、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞[[1950年|[要出典]]]。1994年、勲四等旭日小綬章を受章[[1950年|[要出典]]]。1995年謙慎書道会理事長に就任、以後同会の要職を歴任した[1]。2001年、文化功労者[1]。死後、正四位・旭日重光章を賜与される[1]。
業績
行草書を中心に研究し、運筆からくる独自の書風による表現を確立した[[1950年|[要出典]]]。文化庁で2018年9月まで使用された[5]標識板(縦書体)は同氏の手によるものである。