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広電廿日市駅

広電廿日市駅(ひろでんはつかいちえき)は広島県廿日市市廿日市二丁目にある広島電鉄宮島線である。駅番号はM32

広電廿日市駅
南口
ひろでんはつかいち
Hiroden-hatsukaichi
M31 山陽女学園前 (0.7 km)
(0.8 km) 廿日市市役所前 M33
所在地 広島県廿日市市廿日市二丁目1-25[1]
北緯34度21分23.81秒 東経132度20分10.42秒 / 北緯34.3566139度 東経132.3362278度 / 34.3566139; 132.3362278 (広電廿日市駅)座標: 北緯34度21分23.81秒 東経132度20分10.42秒 / 北緯34.3566139度 東経132.3362278度 / 34.3566139; 132.3362278 (広電廿日市駅)
駅番号 M32
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宮島線
キロ程 9.9 km(広電西広島起点)
駅構造 地上駅
(ホーム) 2面2線
乗降人員
-統計年度-
3,455人/日
-2018年-
開業年月日 1924年大正13年)4月6日
乗換 廿日市駅山陽本線
(テンプレートを表示)

歴史

1923年大正12年)に己斐町駅から草津町駅までの区間が開通した宮島線は、1924年(大正13年)にさらに路線を延伸させた[2]。当駅はこの延伸に際し、路線の終点として開業した駅である。駅名については当初、近くの山に天満宮が祀られていたことから天神下駅と命名される予定であったが変更され[3]廿日市町駅(はつかいちまちえき)として開業した[4]。開業の翌年には当駅からさらに路線が延伸し、地御前まで開通[2][5]。路線が全通したのは1931年昭和6年)のことであり[5]、当駅は全通と同じ日に電車廿日市駅(でんしゃはつかいちえき)とその名を改めている[4]

宮島線は全線複線にて開通したが、太平洋戦争下の1944年(昭和19年)には当駅から電車宮島駅までの区間で下り線のレールが撤去され単線に変更された[6]。これは当時広島市内で建設中だった皆実線用のレールを資材不足の中調達する必要があったためで、利用者が比較的僅少であった同区間のレールを流用することで皆実線は同年末の開通へとこぎつけている[6][7]。線路は戦後の1950年(昭和25年)に複線へと戻された[6]1961年(昭和36年)には、国鉄(当時)廿日市駅と区別するため駅名が広電廿日市駅に変更される[8]

1960年代、70年代には上り線ホームに面して側線があった。

開業以来駅には木造の駅舎が併設されていたが、駅前の整備事業によりホームが移設されることを受けて2012年平成24年)に解体された[9]。解体前の同年9月には駅舎の「さよならイベント」が有志により執り行われた[10][11]。駅前の整備事業は北にある廿日市駅周辺地区の再開発に合わせて進行し、翌2013年(平成25年)8月には駅南側にロータリーが完成[12]。ホームは約50メートル東に移され、新たに待合室が設けられた[12][13]

年表

駅構造

2面2線の地上駅[21]。路線の起点から見て左側に広電宮島口駅方面へ向かう下りホーム、右側に広電西広島駅方面へ向かう上りホームがある[21]

駅構内は全面バリアフリーとなっており、南口(下りホーム側)にはトイレと待合室が設置されている。待合室は鉄骨平屋で、壁面には廿日市市内で産出した杉材を使用する[12]。駅の南北には無料の駐輪場が設置されている[12]

山陽女学園前駅寄りの線路にはポイントがある[21][22]

2012年までは駅舎が存在した。板張りと漆喰の壁、黒瓦の屋根を備えた木造平屋の駅舎で[21]、開業から戦前の改修工事を経て88年間にわたり使用された[10][11]。広島電鉄で最後まで残された木造駅舎で、窓口業務が2005年に終了した後も出札窓口や改札口は往時のまま残されていたが、駅周辺の整備事業に伴い解体[9]。解体前に開催されたさよならイベントでは写真パネルが展示され、記念の入場証明券が発行された[11]

廿日市変電所

当駅の上りホーム裏には広島電鉄の廿日市変電所がある。廿日市変電所はもともと駅の北側、広電西広島方向に150メートルほどの線路沿いにあり(北緯34度21分27.5秒 東経132度20分14.4秒 / 北緯34.357639度 東経132.337333度 / 34.357639; 132.337333 (旧廿日市変電所))、宮島線が開業した1922年(大正11年)8月より宮島線の電車に電力を供給してきた。開業当初は宮島線の己斐町駅 - 草津町駅間に給電し、以後宮島線の延伸に合わせてその範囲を広げ、1931年(昭和6年)2月には宮島線全線へ給電するようになった[23]。1945年(昭和20年)8月6日に広島に原爆が投下された際、広島市内を走る広島電鉄の路面電車が壊滅的な被害を受けながらも早期に運転を再開することができたのは、廿日市変電所が爆心地より15キロメートルほど離れた郊外にあって大きな被害を受けなかったからである[24]。廿日市変電所からの送電によって、市内電車は被爆から3日後には一部区間で運転を再開させることができた[5]

煉瓦造の変電所は1922年の開設以来長きにわたり使用されたが、老朽化が進んだことにより2009年(平成21年)に解体され、跡地は駐車場となった[21]。上りホーム裏にある新しい変電所は旧来の変電所の解体に先んじて2008年(平成20年)3月より稼働を開始している。

利用状況

『廿日市市統計書』によると、2018年度の1日平均乗降人員(利用者総数をその年の日数で割った値)は3,455人であった[25]

広電廿日市駅の乗降人員は以下の表のように推移している。

1日平均乗降人員の推移
年度 乗降人員 出典
1994年度 2,805
1995年度 2,717
1996年度 3,065
1997年度 2,802
1998年度 2,701 [26]
1999年度 2,714 [26]
2000年度 2,465 [26]
2001年度 2,603 [26]
2002年度 2,649 [26]
2003年度 2,710 [26]
2004年度 2,511 [26]
2005年度 2,529 [27]
2006年度 2,548 [28]
2007年度 2,619 [29]
2008年度 2,651 [30]
2009年度 2,638 [31]
2010年度 2,777 [32]
2011年度 2,943 [33]
2012年度 3,002 [34]
2013年度 2,952 [35]
2014年度 3,105 [36]
2015年度 3,148 [37]
2016年度 3,244 [38]
2017年度 3,376 [39]
2018年度 3,455 [25]

駅周辺

 
南口ロータリー

南口には周辺道路に接続するロータリーが整備され[12]、自動車の乗り入れが可能となっている。

付近は住宅街であり、北へ徒歩5分の距離には西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線廿日市駅がある[21]。当駅は市名と同じ「廿日市」を名乗ってはいるが、行政機関などが集まる市の中心部へは隣の廿日市市役所前駅のほうが近い。南にしばらく行くと国道2号があり、店舗が立ち並ぶ。さらに南下すると瀬戸内海が見える。海沿いは工業地帯となっている。

路線バス

廿日市市が運行するコミュニティバス「さくらバス」の停留所がロータリーに設けられている。

隣の駅

広島電鉄
宮島線
山陽女学園前駅 (M31) - 広電廿日市駅 (M32) - 廿日市市役所前駅 (M33)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “”. 広島電鉄. 2015年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月21日閲覧。
  2. ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』68・72頁
  3. ^ 『広電が走る街 今昔』126-127頁
  4. ^ a b 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、39頁。ISBN (978-4-10-790029-6)。 
  5. ^ a b c d e f g h i 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  6. ^ a b c 『広電が走る街 今昔』130頁
  7. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』99頁
  8. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』434頁
  9. ^ a b . MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年10月18日). オリジナルの2012年10月21日時点におけるアーカイブ。. 2017年3月21日閲覧。 
  10. ^ a b c “広電最後の木造駅舎が解体へ”. 中国新聞 (中国新聞社). (2012年9月1日) 
  11. ^ a b c d 「ありがとう広電廿日市駅舎」(PDF)『広報はつかいち』第1161号、廿日市市、2012年10月1日、20頁、2017年3月21日閲覧 
  12. ^ a b c d e f . 中国新聞 (中国新聞社). (2013年8月12日). オリジナルの2013年10月29日時点におけるアーカイブ。. 2017年3月21日閲覧。 
  13. ^ . 中国新聞 (中国新聞社). (2013年1月12日). オリジナルの2013年1月31日時点におけるアーカイブ。. 2017年3月21日閲覧。 
  14. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月11日(国立国会図書館デジタル化資料)
  15. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』70頁
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年7月24日(国立国会図書館デジタル化資料)
  17. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』123頁
  18. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』128頁
  19. ^ “”. 広島電鉄 (1999年). 2000年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月8日閲覧。
  20. ^ (プレスリリース)広島電鉄、2005年11月11日。 オリジナルの2015年7月6日時点におけるアーカイブ2017年3月21日閲覧 
  21. ^ a b c d e f 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、16,88頁。ISBN (978-4-06-295157-9)。 
  22. ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、118-120頁。ISBN (978-4-7942-1711-0)。 
  23. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』98頁
  24. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』110・125頁
  25. ^ a b 『廿日市市統計書』2020年版
  26. ^ a b c d e f g 『廿日市市統計書』2006年版
  27. ^ 『廿日市市統計書』2007年版
  28. ^ 『廿日市市統計書』2008年版
  29. ^ 『廿日市市統計書』2009年版
  30. ^ 『廿日市市統計書』2010年版
  31. ^ 『廿日市市統計書』2011年版
  32. ^ 『廿日市市統計書』2012年版
  33. ^ 『廿日市市統計書』2013年版
  34. ^ 『廿日市市統計書』2014年版
  35. ^ 『廿日市市統計書』2015年版
  36. ^ 『廿日市市統計書』2016年版
  37. ^ 『廿日市市統計書』2017年版
  38. ^ 『廿日市市統計書』2018年版
  39. ^ 『廿日市市統計書』2019年版

参考文献

  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN (4-533-05986-4)。 
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。 
  • 『広島電鉄開業80創立50年史』広島電鉄、1992年。 
  • 廿日市市分権政策部広報統計課編 『廿日市市統計書』各年版

関連項目

外部リンク

  • 広電廿日市 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄
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