常岡 寛治(つねおか かんじ、1886年(明治19年)11月7日[1] - 1948年(昭和23年)8月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
経歴
1886年(明治19年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第35期(優等)卒業[3]。イギリス駐在を経て[2]、1930年(昭和5年)1月6日に在シャム公使館附武官に就任し[2]、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1931年(昭和6年)4月に参謀本部附を経て[2]、8月に歩兵第47連隊長に着任し[2]、満州事変に出動[3]。1934年(昭和9年)に第2師団参謀長に転じた[2]。
1935年(昭和10年)に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第13旅団長に就任[1]。1936年(昭和11年)に豊橋陸軍教導学校長に転じ[3]、1938年(昭和13年)3月に陸軍中将進級と同時に独立混成第2旅団長に就任した[2][3]。1939年(昭和14年)3月に(留守第9師団)長に親補されたが[2]、6月30日に予備役に編入された[3]。1945年(昭和20年)4月8日に召集され、由良要塞司令官となった[4]。