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宮田洋容・布地由起江

宮田 洋容・布地 由起江(みやたようよう・ふじゆきえ)は、昭和期に活躍した音曲漫才コンビ。男女コンビではあるが、夫婦ではない。

アコーディオンを持ったミュージカル漫才を考案。楽団ユーモアと組んで、ピアノなどの伴奏も時折入れてもらっていた。都上英二・東喜美江リーガル千太・万吉等と共に戦中戦後と(東京漫才)で活躍。

メンバー

宮田 洋容(1915年2月16日 - 1983年7月11日
本名は岩下 信夫(いわした のぶお)。熊本県玉名郡三加和町出身。1929年熊本工業高校卒業。ミスワカナの一座を経て1938年から吉本興業専属となる。
1942年より上京し並木一路、(日森麗子)等のコンビを変えて戦後、布地由起江と組む。解散後はアメリカ人の(ミヤタ・フィリップ)と組んだ。
東京漫才協会(当時会長であったコロムビア・トップ・ライトコロムビア・トップの漫才協団(現在の漫才協会)とは別組織)の運営委員長であった。
数々の映画に出演しているが、クレジットが「宮田羊容」である作品もあった。
最後の舞台は1983年5月26日神奈川県海老名市で行われた「漫才大会」のイベント。
布地 由起江(1932年5月6日 - 没年不詳[1]
本名は不二 幸江(読み同じ)。北海道出身。1952年コメディアン小野栄一と同郷で一緒に上京してきたという。組む前は美人歌手女優として活躍。
解散後はオペラ漫才コンビ「ふじゆきえ・はなこ」で活動していたが、2006年に引退。他にも手話漫才も担当していた。既に故人とされているが、詳細な没年月日は不明。

出演映画・ドラマ

映画

宮田洋容
布地由起江
  • 乙女の祈り
  • 若い恋人たち
  • (爆笑水戸黄門漫遊記)(1959年)
  • (新・三等重役)(1959年)
  • 自由ケ丘夫人(1960年)
  • 私は嘘は申しません(1961年)
  • 大笑い次郎長一家 三ン下二挺拳銃(1962年)
  • やわ肌ざんげ(1966年)

ドラマ

宮田洋容・布地由起江
宮田洋容
  • 月光仮面 第2部(1958年、KRT / 宣弘社プロダクション)ハンチングの由 役
  • 記念樹 第28話「コンパクトの中の青空」(1966年10月11日) - 製材所主人[注釈 1]
  • (特別機動捜査隊)(NET / 東映
    • 第375話「鶏はふたたび鳴く」(1969年)
    • 第402話「海は知っている」(1969年)
    • 第675話「疑惑の夜」(1974年)
  • サインはV(1969年、TBS / 東宝)立木大和・人事課長 役
  • 非情のライセンス 第2シリーズ第60話「兇悪のお母さん」(1975年、NET / 東映) - 主人
  • (水戸黄門 第7部) 第18話「盗まれた印籠 -山形-」(1976年9月20日、TBS / C.A.L) - 幸吉
  • 江戸の旋風Ⅱ(1976年、CX)
  • 破れ奉行(テレビ朝日 / 中村プロ)
    • 第5話「暗黒街の紅い花」(1977年)
    • 第25話「闇に消えた三億両」(1977年) - 藤兵衛※「宮田羊容」と誤表記
布地由起江
  • 月光仮面 第5部(1958年、KRT / 宣弘社プロダクション)カボ子 役
  • 昔三九郎(1968年、NTV)
  • (特別機動捜査隊)(1973年、NET / 東映)

唄の家ライオン門下

宮田一門

直弟子

孫弟子

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 宮田羊容名義。
  2. ^ 唄の家なり駒はWヤングの平川幸男の叔父。
  3. ^ 千葉なり太の妻で秋田Aスケ・Bスケの二代目秋田Bスケの叔母。

出典

  1. ^ ウルトラマン研究読本(洋泉社) 2013年 p.178
  2. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN (4-924609-00-5)。 
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