市川 元教(いちかわ もとのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。父は(山口奉行)を務めた市川経好。
生涯
毛利氏家臣で(山口奉行)を務める市川経好の嫡男として生まれる。
天正6年(1578年)に豊後国の大友義鎮(宗麟)に内応し反乱を企てたが、そのことを父・経好に察知され、経好の密命を受けた雑賀隆利や(内藤元輔)らによって殺害された。
活動期間が短いため、その人生には不明点が多い。毛利一門であり、父母も武器を取って大友氏の勢力と戦っていたにもかかわらず、何故大友氏の誘いに乗ったのか、その理由は不明である。
また、元教は謡曲「采女の山郭公」の小鼓が得意であったため、元教の死後、山口では采女を謡うことを控えたと言われている。