差間(さしま)は、埼玉県川口市の大字及び町名。現行行政地名は大字差間、差間一丁目から三丁目。郵便番号は333-0816[2]。
地理
川口市北部の大宮台地(鳩ヶ谷支台)上に位置し、さいたま市緑区と接する。一部では芝川第一調節池が造成されている[要出典]。
地価
住宅地の地価は2018年(平成30年)1月1日の公示地価によれば差間2−13−12の地点で13万1000円/m2となっている[4]。
河川
小字
- 沼内[5]
- 御林下
- 篠谷ツ(篠谷つ)
- 立野橋前
- 立野橋後
など
歴史
沿革
もとは江戸期より存在した足立郡三沼(見沼)領に属する差間村であった[6]。差間は元禄郷帳には指間と記されていた[7]。「立野橋」と称される枝郷[6](現、字立野橋前・立野橋後)を有していた[7]。
- はじめは幕府領、享保年間(1716年〜1736年)に見沼新田開発に伴う替地により一部が関東郡代伊奈氏の知行地となるが、1792年(寛政4年)より幕府領となる[6]。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大門町と下野田村、北原村、間宮村、差間村と玄蕃新田の1町4村1新田が合併し、大門村が成立[8]。差間村は大門村の大字差間となる[6]。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 大門村が戸塚村・野田村と合併し、美園村が成立[8][9]。美園村の大字となる。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村のうち、旧大門村のうち差間・大字北原の一部(小字行衛)を除く区域と旧野田村が浦和市に、旧戸塚村と旧大門村のうち差間・行衛が川口市にそれぞれ編入される[8][9]。川口市の大字となる。
- 1975年(昭和49年) - 戸塚第3土地区画整理事業が都市計画決定。
- 1989年(平成元年)10月1日 - 大字差間と大字行衛の一部から差間一丁目〜三丁目が成立。
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
地区内をJR武蔵野線が通るが鉄道駅は設置されていない。最寄り駅は東川口駅であるが、差間2丁目よりおよそ1.8 km[4]離れている。
道路
公園・緑地
- (川口自然公園)
- 東沼公園
- 差間後谷ツ公園
- 差間中公園
- 差間西公園
- 差間箕輪入公園
- 差間箕輪前公園
- 差間第一公園
- 差間緑地西公園
- 東内野住宅第二緑地
- 東内野住宅第三緑地
- 東内野住宅第三公園
- 立野橋緑地
- 立野橋公園
- 立野橋東公園
施設
脚注
- ^ a b c “かわぐちの人口第5表町丁字別人口”. 川口市 (2018年3月8日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年1月31日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1386頁。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』408頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 差間村.
- ^ a b c 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ “住所から基本学区の学校を探す”. 川口市 (2008年2月28日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ 『でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、77頁。ISBN (978-4-398-60135-3)。
参考文献
は列挙するだけでなく、(脚注)などを用いてしてください。 |
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN (4040011104)。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。
- 川口市史 通史編 下巻
- 「差間村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ144足立郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763998/79。