人物・来歴
阪東妻三郎のファンであった[1]。エキストラ出演を経て、1927年(昭和2年)ころ助監督となる[1]。
1931年(昭和6年)設立の新興キネマに参加する[1]。1932年(昭和7年)、監督に昇進し、『(父をたづねて三千里)』で監督としてデビューした[2]。1935年(昭和10年)開所した新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)に異動、サイレント映画あるいはサウンド版の映画を監督し続けた[2]。
1936年(昭和11年)5月7日に公開された監督作『(残月の歌)』を最後に、トーキー専門のピー・シー・エル映画製作所(現在の東宝スタジオ)に移籍した[1]。同社では、文化映画を約10本監督した[1]。
その後、引退し、長野県の郷里に戻って不動産業を行った[1]。その後の消息は知れない。
2009年(平成21年)、第18回で『福寿草』が上映された[3]。同作は、サウンド版として製作されたが、現存するプリントは音声トラックのないサイレント版である[4]。
フィルモグラフィ
新興キネマ
- 1932年
- 『(父をたづねて三千里)』 : 脚本藤田潤一、主演(金沢美都子)
- 1933年
- 『(時雨ひととき)』 : 原作・脚本八尋不二、主演花房銀子
- 『(花嫁選手)』 : 原作小島政二郎『父のキッス』、脚本小川正・(小山信二)、主演桂珠子
- 『(結婚快走記)』 : 原作山中峯太郎、脚本(山内英三)、主演月田一郎、(江川なほみ)
- 『(赤い唇)』 : 原作・脚本小山信二、主演松本泰輔
- 1934年
- 『(誕生日)』 : 原作・脚本(小松原鼎)、主演(沖悦児)
- 『(細君ネロ 家庭争議の巻)』 : 原作・脚本新興キネマ脚本部合作、主演新見映郎
新興キネマ東京撮影所
- 1935年
- 『福寿草』 : 原作吉屋信子、共同脚本(萩野頼三)、撮影中井朝一、主演江川なほみ - 監督・脚本
- 『(釣鐘草)』 : 原作吉屋信子、撮影中井朝一、主演霧立のぼる - 監督・脚本
- 『恋の浮島』 : 原作・脚本(上島量)、撮影中井朝一、美術新藤兼人、主演伏見信子
- 1936年
註
- ^ a b c d e f g h 川手二郎、アテネ・フランセ文化センター、2010年1月25日閲覧。
- ^ a b 川手二郎、日本映画データベース、2010年1月25日閲覧。
- ^ 乙女シリーズ その一 花物語 福壽草、、2010年1月25日閲覧。
- ^ 安部善重コレクション1、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年1月25日閲覧。
外部リンク
- Jirô Kawate - IMDb(英語)
- 川手二郎 - 日本映画データベース
- 川手二郎 - allcinema