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川上氏(かわかみし)は、日本の氏族の一つ。川上を苗字とする一族のことである。河上とも表記されることがあった[1]。 複数の川上氏が存在する。
- 物部氏・尾張氏・海部氏系川上氏。古代の和泉に川上部、河内に物部氏族川上造など。
- 熊襲系。熊襲の頭(川上梟帥)は有名。
- 薩摩島津氏系川上氏(薩摩島津川上氏)。
- 他に、明治8年2月13日の「平民苗字必称義務令」による川上氏がある。
川上氏(物部氏系)
川上氏(かわかみうじ)は、「川上」を氏の名とする氏族。
物部氏系
姓は造。『続日本後紀』承和元年12月に、散位従七位下の(川上造吉備成)(かわかみのみやつこきびなり)が(春道宿祢)の姓を賜ったことがみえ、伊香我色雄(いかがしこおのみこと)の後裔とされる。造(みやつこ)は朝廷に仕える人の意。
川上氏(熊襲)
古事記には、景行天皇の皇子であるヤマトタケルによるクマソタケル(熊襲建、川上梟帥)の征伐譚が記される。
日本書紀・景行(けいこう)紀27年条 「熊襲(くまそ)に魁帥(たける)者有(といふものあ)り。名は取石鹿文(とろしかや)。亦は川上(かはかみの)梟帥(たける)と曰ふ。」とある。
川上氏(薩摩島津)
川上氏 (薩摩国) | |
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石持ちに十字 | |
本姓 | 惟宗氏島津庶流[2] |
家祖 | 嫡流 川上頼久[2] 庶流 (川上忠塞)[3] |
種別 | 武家 |
出身地 | 薩摩国川辺郡川上郷[2] |
主な根拠地 | 薩摩国日置郡伊集院 |
支流、分家 | 小原氏 山口氏 安山氏 |
(凡例) / (Category:日本の氏族) |
川上氏(薩摩)(かわかみし)は、薩摩島津氏の一族。島津宗家5代当主の島津貞久の庶長子、頼久が薩摩加世田別府半分地頭職を与えられたことから始まる。
川上氏(薩摩島津)嫡流
代々島津宗家に仕え、5代(兼久)の時に薩摩日置郡伊集院の地頭職となる。しかし10代昌久は島津宗家14代当主の島津勝久の行状をいさめて自害した。その子孫は薩摩・大隅・日向の各郡の地頭職に任命されている。
- 頼久…子:親久(2代)
- (親久)…子:家久(3代)
- (家久)…子:教久(4代)、兼久(5代)、(忠村)
- (教久)
- (兼久)…子:行久(6代)、(忠頼)、(忠塞)、(義久)
- (行久)…子:公久(7代)
- (公久)…養子:朝久(8代、忠塞の子)
- (朝久)…子:安久(9代)
- (安久)…子:昌久(10代)
- 昌久…子:久隅(11代)
- 久隅…子:久利、(久通)(12代)
以下略
川上氏庶流
戦国時代に島津家家臣として知られる川上氏は、5代(兼久)の三男、(忠塞)の流れである。島津義弘を守って戦死した久朗、沖田畷の戦いで龍造寺隆信を討ち取ったとされる忠智・忠堅、朝鮮の役で活躍した忠実、そして関ヶ原の戦いに参加し小返しの五本鑓に数えられる忠兄・久智・久林などは全て川上氏の庶流にあたる。また、薩州家の島津実久に与して島津宗家に叛いた辺川忠直は、川上氏3代(家久)の三男(忠村)の孫にあたる。庶家には、小原氏、山口氏、安山氏を称した家などがある。
江戸時代の川上氏
川上氏本家は各地の地頭職を歴任し、「堅馬場家」とも称され600石の家禄を得て一所持の家格とされた。また昌久の孫にあたる久利の家も本家とは別に403石を拝領し、「竜衛家」と称され寄合衆の家格となる。また、(久尚)の子の(久明)の系統は「弥五大夫家」と称し、やはり寄合衆となった。庶流である久朗の系統の家は「式部家」と称され(寄合衆)、237石を得て代々家老・目付の要職にあった。
正徳年間より、偏諱は寄合並以上の嫡男は「久」、次男以下は「親」の字とされ、士分以下や他家奉公の川上姓は改姓するよう命が下ったが、明治3年(1870年)より復姓が許された。
系譜
島津貞久 ┏━━━┳━━━━╋━━━━┓ 頼久 島津宗久 島津師久 島津氏久 ┃ (親久) ┃ (家久) ┏━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ (教久) (兼久) (忠村) ┣━━┳━━━━━┳━━┳━━━━━━━━━━━┓ ┃ (行久) (忠頼) (忠塞) 昌隆 (義久) (忠貴) ┃ ┣━━┳━━┳━━┓ ┃ ┃ (公久) (栄久) (忠豊) 忠朝 (忠興) 受久 辺川忠直 ∥ ┏━━┳━━┫ (*) ┣━━┓ ┃ (朝久) (忠豊) (道堯) 忠克 忠智 (忠里) 経久 ┃ ┏━━╋━━┓ ┏━━╋━┓∥ ┃ (安久) (忠頼) 久朗 (忠実) 忠堅 忠兄 久智 倍久 ┃ ┃ ┃ ┣━━┓ ┃ 昌久 (久辰) 久林 (久恒) (忠盈) (久慶) ┃ ┃ ┏━━┫ ┃ ┃ 久隅 (久国) (久如) 久盛 久親 親昌 ┏━━┫ ┃ ┃ 久利 (久通) 久将 忠通 ┃ ┃ ┏━━┫ ┏━━┳━━┫ (久清) (久運) 久孝 (久重) 忠洪 忠真 忠方 ┏━━┫ ┃ ┃ ┃ 忠利 久慶 (久尚) 久映 忠邦 ┃ ┣━━━━━┓ ┃ ┃ 親倫 久東 (久明) 久欽 親盈 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━━┫ 久・ 久長 久福 久禎 親賢 雅楽 ┏━━┳━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ 久品 実包 久珍 久儔 久柄 久鎌 親常 ┃ ∥ ┃ ∥ ┃ 久齢 久致 久運 久義 親紀 ┃ ┣━━┓ ┃ ┃ ┃ 孫左衛門 (久芳) 久方 久休 久美 親矩 ┣━━┳━━┳━━┓ 久封 (親庸) 貫峰 (親戴) ┃ (久昭) 注)太字は本家、━は実子、=は養子。 8代当主の朝久は忠塞の次男、忠豊(*)。 忠実には諸説あるが、ここでは久朗の弟とした。