川上村(かわかみむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県久米郡のち温泉郡にあった村であり、現在の東温市の中北部に位置する。
地理
現在の東温市の中北部。重信川上流左岸とその支流の本谷川の流域。久米郡北方村、松瀬川村と下浮穴郡南方村、吉久村とが合併して川上村となる。
地名の由来
- 川上村の由来は、讃岐街道の川上駅による。
歴史
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により久米郡北方村、松瀬川村、下浮穴郡南方村、吉久村が合併し、久米郡川上村として成立。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 久米郡が温泉郡に編入、温泉郡川上村となる。
- 1938年(昭和13年) - 吉久のお吉泉でオキチモズクが発見される。
- 1955年(昭和30年)4月25日 - 三内村との合併により温泉郡川内村となる。
川上村の系譜 (町村制実施以前の村)(町村制施行時) 北方 ━━┓ ┃ 松瀬川 ━━╋━━━━━ 川上村 ━━━┓ ┃ ┃ (昭和30年4月25日新設合併) 南方 ━━┫ ┣━━ 川内村 ━━━━┳━━━ 川内町 ┃ ┃ ┃(昭和31年9月1日新設合併) 吉久 ━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃ 三内村 ━━━┛ ┃ 中川村の一部 ━━┛ (昭和31年9月1日新設合併)
地域
北方(きたがた)、松瀬川(ませかわ)、南方(みなみがた) 、吉久(よしひさ)の4つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、川上村、川内村、川内町になっても大字として存続した。
役場は大字北方においた。
行政
役場
大字北方においた。
産業
平安前期に設置された讃岐街道の川上駅を中心に宿場町が形成されていた。天神、市場、中之町に商店街が整備され、伝馬屋、旅館のほか雑貨屋、鍛冶屋、造り酒屋、和菓子屋、風呂屋、芝居小屋などがあった。1927年の松山駅開業後は海岸沿いの鉄路に旅客を奪われ、内陸部の川上は徐々に衰退した。
1914年、水力発電所開設。
郊外は水田耕作や林業が中心。
交通
1920年に川上駅や桜三里などを経由する乗合自動車の路線が讃岐街道に設けられた。
出身・ゆかりのある人物
脚注
参考文献
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。