島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。
経歴
終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、(中央演劇学校)で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている[1]。
1951年東宝に入社。映画『めし』『若い人』『七人の侍』などに出演し活躍。東映や日活、新東宝の映画にも多数出演している。
1955年に当時は日活の助監督であった神代辰巳と結婚。
1959年からはシャンソン歌手としても活動を始め、同年の「第10回NHK紅白歌合戦」に歌手として初出場した(詳細は下記参照)[2]。この回の紅組の初出場は他にザ・ピーナッツらがいる。
1963年、銀座にシャンソニエ「エポック」を開店し、後に高級クラブへと形態を変えながらも約20余年経営する。1967年に神代辰巳と離婚(後年、別の男性と再婚)したのを機に芸能界から退いた。
1981年、舞台『(プラトーノフ)』で紀伊國屋ホールに出演し、芸能界へ一時復帰を果たした。
2014年死去[3]。
主な出演
映画
- 山のかなたに(1950年、新東宝)
- (夜の緋牡丹)(1950年、新東宝)
- (若い娘たち)(1951年、東宝)
- (麗春花)(1951年、新東宝)
- 青い真珠(1951年、東宝)
- めし(1951年、東宝)
- (ラッキーさん)(1952年、東宝)
- (金の卵)(1952年、東宝)
- 若い人(1952年、東宝)
- (激流)(1952年、東宝)
- 人生劇場・第一部(1952年、東映)
- 人生劇場・第二部(1953年、東映)
- もぐら横丁(1953年、新東宝)
- 日の果て(1954年、松竹)
- 七人の侍 Seven Samurai (1954年、東宝) - 黒澤明監督。ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。
- (かくて夢あり)(1954年、日活)
- (八州侠客伝 白鷺三味線)(1955年、松竹)
- しいのみ学園(1955年、新東宝)
- (俺は藤吉郎)(1955年、大映)
- (皇太子の花嫁)(1955年、新東宝)
- (君は花の如く)(1956年、松竹)
- みな殺しの歌より 拳銃よさらば!(1960年、東宝)
- がんばれ! 盤嶽 (1960年)
- 暗黒街の弾痕(1961年、東宝)
- 顔役暁に死す(1961年、東宝)
- 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年、東宝)
テレビドラマ
- 転落の詩集(1959年、NET)
- (しかもバスは走って行く)(1959年、NHK)
- 愛する(1960年、NET)
- (四ツ葉のクローバー)(1960年、NET)
- 諜報(1960年、CX)
- 東芝日曜劇場・(妹のまん中)(1960年、KR)
- 暗闇の丑松(1960年、NET)
- (オリーブ地帯)(1961年、NTV)
- それからの武蔵(1964年、MBS)
- 風船(1964年、KTV)
- 船場(1967年、KTV)
舞台
NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として)
脚注
外部リンク
- 島崎雪子 - 日本映画データベース
- (島崎雪子) - 文化庁日本映画情報システム