山 池作(やま の いけつくり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。姓は直のち宿禰。従六位下・山豊山の子。官位は従五位下・河内介。
出自
山氏(山直)は、天穂日命の十七世孫の日古曾乃己命の後裔とされる[1]、(出雲氏)族に属する天孫系氏族。氏の呼称は山部・山守部の伴造氏族であったことに由来すると想定される[2]。
経歴
仁明朝の承和3年(836年)正六位上・右大史の官位にあったが、弟の池永らとともに和泉国から左京五条に本拠を貫附された。のち左大史に昇任され、承和6年(839年)池作を含む一族10名が直から宿禰に改姓している。
承和7年(840年)外従五位下・(越前介)に叙任されて地方官に転じる。その後、嘉祥2年(849年)(肥後介)、仁寿2年(852年)河内介と仁明朝後半から文徳朝にかけて地方官を歴任し、斉衡4年(857年)内位の従五位下に至った。
官歴
『六国史』による。