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生涯
安永2年(1773年)4月16日、第9代藩主・山内豊雍の長男として生まれる。天明5年(1785年)2月15日、将軍徳川家治に御目見する。天明7年(1787年)3月18日、従四位下筑後守に叙任する。寛政元年(1789年)10月28日、父が死去したために跡を継いだ。同年12月16日、侍従に任官する。寛政9年(1797年)、郷士の(高村退吾)殺害事件による郷士騒動が起こり、これが原因で土佐藩の身分制度の動揺が始まったという。
藩政においては、藩校・(教授館)の拡大や文治の奨励、さらに塙保己一の『群書類従』編纂にも協力したという。文化5年(1808年)2月5日に家督を長男の豊興に譲って隠居し、木工頭を称した。文政8年(1825年)8月3日に死去した。享年53。
系譜
子女は8男7女