伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
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山之内 一次(やまのうち かずじ、1866年12月12日(慶応2年11月6日) - 1932年(昭和7年)12月21日)は、日本の内務・鉄道官僚、政治家。第1次山本内閣の内閣書記官長、第2次山本内閣の鉄道大臣、(貴族院勅選議員)。
年譜
鹿児島藩士・山之内時習の長男として生まれる。
- 錦城学校卒業
- 旧制第一高等学校卒業
- 1890年(明治23年)- 7月 東京帝国大学卒業
- 1899年(明治32年)- 3月 内務省警保局保安課長
- 1901年(明治34年)- 4月 青森県知事(官選)
- 1904年(明治37年)- 4月 逓信省鉄道局長
- 1907年(明治40年)- 1月 兼南満州鉄道株式会社監理官、4月 兼帝国鉄道庁副総裁
- 1908年(明治41年)- 12月 鉄道院理事・総務部長
- 1909年(明治42年)- 6月 鉄道院運輸部長
- 1910年(明治43年)- 4月 鉄道院管理部長
- 1912年(大正元年)- 12月 (北海道庁長官)
- 1913年(大正2年)- 2月 第1次山本内閣で内閣書記官長
- 1914年(大正3年)- 3月31日 (貴族院勅選議員)に勅任[1]、4月21日 - 錦鶏間祗候[2]
- 1918年(大正7年)- 三州倶楽部(会長:樺山資紀)設立に幹事として参加
- 1923年(大正12年)- 9月 第2次山本内閣で鉄道大臣
- 1932年(昭和7年)- 12月21日 死去
栄典その他
- 栄典
- 叙勲
- 叙位
- 記念
- 記念章
- 1930年(昭和5年)- 12月5日 (帝都復興記念章)[7]
- 栄誉