この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2013年10月) |
小西 寅松(こにし とらまつ、1902年9月10日 - 1960年4月14日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員。第3次吉田内閣で賠償政務次官を務めた。
経歴
大阪府出身。1945年、土建業の寅林組を設立。1946年、第22回衆議院議員総選挙で当選(以後第28回まで当選7回)。1954年11月、日興連汚職事件により福田繁芳と共に収賄罪の容疑で逮捕され、後に懲役6か月・執行猶予1年の判決を受けた。
人柄
日興連汚職事件の際に小西を担当した検事・伊藤栄樹(後の検事総長)によれば、小西は前科十数犯を持つ博徒で、読み書きが不自由であったものの、「稚気愛すべき人物」であったという。伊藤によれば、小西は同事件で収賄した金の一部で同僚議員たちと浅草に「ショー」を見に行ったものの、自身の公判の際、同僚議員が証人として出廷させられることを防ぐために、収賄の事実を認めてしまったという[1]。
脚注
- ^ 伊藤栄樹『検事総長の回想』朝日新聞社、1992年、54頁。