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来歴・人物
東亜学園高では、1983年夏の甲子園西東京予選で準々決勝に進出するが、桜美林高に敗退。
高校卒業後は、東洋大学に進学。東都大学リーグでは4年生の時に、保坂彰茂投手(新日鉄名古屋)との二本柱で1987年秋季リーグの優勝に貢献、同季の最高殊勲選手に選ばれた。リーグ通算4勝3敗。大学同期には山下徳人がいる。
農協に就職が内定していたが[1]、1987年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。
一軍での登板機会のないまま、1989年限りで現役を引退。
現在は、練馬リトルシニア野球協会で監督を務めている[2]。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 27 (1988年 - 1989年)