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小平 重吉(こだいら じゅうきち、1886年9月10日 - 1960年4月3日)は、栃木県出身の日本の政治家、実業家。
来歴・人物
1886年(明治19年)9月10日、栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に生まれる。宇都宮農学校卒業、明治大学予科を中退。1927年(昭和2年)の栃木県会議員選に立候補し当選し3期務める。1930年からは6年間は石橋町長も兼任した[1]。
1937年(昭和12年)には第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)では落選した。1947年(昭和22年)4月に初代公選栃木県知事に当選[2]。健康上の理由で2期目任期途中の1955年(昭和30年)2月に辞任した。1960年(昭和35年)4月3日東京の慶應病院にて死去。享年73。同月8日に宇都宮市内にて関係会社や自民党栃木県連などによる合同葬が営まれた[3]。
実業家として、1919年に石橋自動車商会設立、1923年には関東自動車の設立に関わり、1939年に「小平重工業」(のち小平産業)を設立。栃木貨物自動車や栃木合同タクシーなども設立した[1]。
加藤武男(元三菱銀行頭取)と共に、日光カンツリー倶楽部の基を築き、毎年春には小平杯が行われている。
「(栃木トヨタ自動車#脚注)」も参照
栃木県総合運動公園内の第2陸上競技場南側に、小平の銅像がある。
親族
長男の小平久雄は衆議院議員となり、総理府総務長官、労働大臣、衆議院副議長等を歴任した。