小川 さゆり(おがわ さゆり、1971年[1] - )は、長野県の山岳ガイド。南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人[1][2]。(日本山岳ガイド協会)認定登山ガイド[3]、中央アルプス地区遭対協救助隊員[4]。
来歴・人物
長野県駒ヶ根市生まれ[4]。スノーボードのトレーニングをきっかけに山を登り始める[2]。2000年代にはマッターホルンやグランド・ジョラスなどへの登山歴がある[2]。
駒ヶ根市を拠点に、中央アルプスを中心とした山域でガイドや救助隊員として活動する[2][5]。得意な山域は中央アルプス、北アルプス、御嶽山[1]。
2014年9月27日、ツアーの下見のために単独で御嶽山を訪れ[5]、山頂に到達して火口から500mほど離れたところでお鉢巡りをしていたところ、火山噴火に遭う[1][6][7][8][9]。日本における戦後最悪の火山災害であり、山頂直下での被災でありながらも奇跡的に生還を果たした[7][10]。このとき、自身の命を守るのに精一杯だったといい、もしもガイドで行っていたら客の命を守ることはできなかったと痛感したという[5]。この経験から安全登山に心掛けたガイド活動を行っているほか、機会があるごとに講演会でこのときの悲惨な状況や教訓を伝えている[1][11]。噴火から2年経過した2016年には、当時の模様を克明に記したノンフィクション「御嶽山噴火 生還者の証言」を山と溪谷社より刊行した[11][12][13][14]。
安全な登山や無事の下山を呼びかけるため、手拭いやステッカーの作製も行っている[15]。火山での登山に絶対の安心はないものであると語り、安全対策のシェルターなどの設置に対しては、安心ではあるが、絶対の安全ではないと伝えている[9][12]。
2022年7月、檜尾岳の山小屋「檜尾小屋」のリニューアルオープンを記念し、同小屋の公認キャラクター「カモやん」を制作[3]。
著書
脚注
出典
- ^ a b c d e “信州登山案内人名簿(個人詳細404)”. 長野県. 2023年1月9日閲覧。
- ^ a b c d “小川 さゆり”. THE JAPAN ALPS. 2023年1月9日閲覧。
- ^ a b . 長野日報. (2022年7月29日). オリジナルの2022年7月28日時点におけるアーカイブ。2023年1月9日閲覧。
- ^ a b “小川さゆり|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2023年1月9日閲覧。
- ^ a b c 小川さゆり(インタビュアー:齋藤)「木曽御嶽山 噴火を体験された登山ガイド・小川さゆりさんにインタビューさせていただきました」『クラブログ』、クラブツーリズム、2019年3月27日 。2023年1月9日閲覧。
- ^ 近藤幸夫 (2018年10月6日). “長野)噴火から生還の小川さゆりさん、4年ぶり山頂へ”. 朝日新聞デジタル2023年1月9日閲覧。
- ^ a b “「もう生きて帰れないと思った…」 空から軽トラック大の石 噴火時、頂上に約50人”. 産経ニュース. (2014年9月28日)2023年1月9日閲覧。
- ^ “御嶽山が噴火 写真特集”. 時事ドットコムニュース. (2014年9月27日)2023年1月9日閲覧。
- ^ a b “火山に登るなら そこに絶対の安全は無い”. 災害列島 命を守る情報サイト. 特集記事 相次ぐ災害 教訓を忘れないために. NHK (2019年10月21日). 2023年1月9日閲覧。
- ^ “御嶽山教訓、手紙に託す 飯島の山岳ガイド、仲間ら100人に”. 信濃毎日新聞ニュース特集 御嶽山噴火. (2014年10月25日)2023年1月9日閲覧。
- ^ a b “御嶽山噴火 生還者の証言 あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み”. 山と溪谷社. 2023年1月9日閲覧。
- ^ a b 鷲尾太輔 (2022年9月5日). “あの人を山で元気にしたい!インドア女子が1年で剱岳に登るまで〜安全登山への気付きと教訓編〜”. YAMA HACK. 2023年1月9日閲覧。
- ^ “御嶽山噴火生還者の証言 / 小川 さゆり【著】”. 紀伊國屋書店ウェブストア. 2023年1月9日閲覧。
- ^ “御嶽山噴火3年 生還ガイド「登山、常に危機意識を」”. 日本経済新聞. (2017年9月26日)2023年1月9日閲覧。
- ^ “御嶽山噴火の教訓伝える手ぬぐい 生還した奈良の山岳ガイドが作製、万全の備え呼びかけ”. 毎日新聞. (2019年9月18日)2023年1月9日閲覧。