小島 柳蛙(こじま りゅうあ、1820年3月1日(文政3年1月17日) - 1882年(明治15年)7月6日[1])は、幕末から明治時代にかけての日本の写真家である[2]。別名は小島補佐五郎、小島新次、小島 光徳。通称小島呉郎作[3]。
概要
1820年、美濃国方県郡(小西郷村)(現・岐阜県岐阜市)に生まれる[3]。明治3年(または4年、1870年)に、岐阜県伊奈波神社口に写真館・積翠園を設立した。家族をモデルとして使用したコラージュなどのフォームを試した。また化学を実験した。飯沼慾斎とは深い関連があり、彼を師匠として学んでいた。また、彼の甥でもある。1882年7月6日死去(享年63歳)[1]。
関連人物
出典
外部リンク
- 小島柳蛙 - 幕末・明治の写真師 総覧