小坂 武雄(こさか たけお、1895年(明治28年)1月23日 - 1971年(昭和46年)10月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。小坂財閥小坂善之助の子。
来歴
1895年、長野県長野市で小坂善之助の息子として生まれる。東京帝国大学法学部卒業後、1924年に兄・小坂順造の経営する信濃毎日新聞社に入社する。1942年に同社社長に就任し、同年の衆議院選挙に日本進歩党の推薦で長野県第1区から出馬して当選した。戦後、公職追放により社長を辞任するが、1953年に公職追放解除により再び社長に就任、積極経営で同社を発展させた。その後は(長野商工会議所)会頭などを歴任する。1971年10月26日に間質性肺炎のため、入院中の虎の門病院にて76歳で死亡した[1]。正四位が追贈されている[2]。