流域
県内最高峰の於茂登岳の北東の中腹を源流とし、上流で支流の(石橋川)(イシバシカーラ、イシパチィカーラ)、(底原川)と合流する。中流は前山と宮良台地の間を流れ、支流の(ヘーギナー川)と合流しながら蛇行した後、南流して(宮良湾)(太平洋)へ流れ出る[1]。下流部の流れは緩やかであり、ボラ(ブラ)やサヨリ(ハリジャー)が河口から2.5キロメートルの赤下橋付近まで遡上することもある[2]。自然の河岸が多く残り、下流ではオヒルギなどのマングローブ湿地が発達して、「宮良川のヒルギ林」として1972年に国の天然記念物に指定されている[3][4][5]。また近年はカヌーによるエコツアーが河口部で行われている。
宮良川土地改良事業の水源として源流付近に真栄里ダムや底原ダムがあり、流路の両側にはサトウキビやパイナップルの畑、水田など農地が広がっている。一方で、これらの農地開発などのため大雨後には土壌が流出して宮良湾が赤く染まり、県内で最も赤土流出が激しい河川として知られる。
歴史
かつては河口部が「歩渡り」(歩行渡)といわれ[6][7]歩いて渡ることができ、満潮時には渡舟を利用していた[8]。河口の宮良橋は宮良親雲上長重によって順治15年(1658年)に初めて架けられ、島の東西を結ぶために修理や架替えが繰り返された[9][10]。また、宮良橋の上流に大浜橋があったという[11]。
宮良湾は遠浅のため、乾隆36年(1771年)の八重山地震による明和の大津波では宮良集落で1,050人が死亡するなど[12]大きな被害を受けている。なお、この時、津波は宮良湾から宮良川とヘーギナー川を逆流して名蔵湾まで流れ込んだともいわれる。しかし、これは牧野清の『八重山の明和大津波』(1968年)に基づくもので、古文書に記録はない。むしろ、古文書には津波がそのような経路を辿った場合に通過するはずの御嶽が無事であったという記録が残っており、津波が宮良湾から名蔵湾へ抜けたとする話と整合しない[13]。
1937年(昭和12年)頃には下流西岸に製糖工場が建てられ、これに伴い磯辺集落が形成された。また、中・上流域には沖縄本島や宮古島などから入植があり、1938年に開南、1941年に川原、1950年に三和、1957年に於茂登の各集落が開拓された。近年は流域で市営団地の建設も進んでいる。
支流
- (石橋川)(イシバシカーラ、イシパチィカーラ)
- (底原川)
- (ヘーギナー川)
河川施設
橋梁
- 宮良橋(国道390号)[9][10][1]
- 赤下橋(沖縄県道209号大浜富野線)
- 川原橋(沖縄県道211号新川白保線)
- 武那田原大橋(沖縄県道87号富野大川線)
宮良川に関連する作品
脚注
- ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "宮良川". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 676.
- ^ 『宮良村誌』
- ^ “石垣市の文化財” (PDF). 石垣市教育委員会 (2014年3月). 2018年10月7日閲覧。
- ^ “16.宮良川(みやらがわ)とヒルギ林”. 石垣島の風景と歴史. 石垣市教育委員会市史編集課. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “宮良川のヒルギ林”. おきなわ 緑と花のひろば. 沖縄県環境部環境再生課. 2018年10月7日閲覧。
- ^ 『正保国絵図』
- ^ 『天保国絵図』
- ^ 『両島絵図帳』
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "宮良橋". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 676.
- ^ a b c “17.宮良橋”. 石垣島の風景と歴史. 石垣市教育委員会市史編集課. 2018年10月7日閲覧。
- ^ 雍正5年(1727年) 『八重山島由来記』
- ^ “20.宮良(みやら)集落”. 石垣島の風景と歴史. 石垣市教育委員会市史編集課. 2018年10月7日閲覧。
- ^ 「学際的研究が解き明かす1771年明和大津波」(PDF)『科学』2012年2月号、岩波書店、208-214頁。
- ^ a b c d “底原ダム関連施設”. 沖縄県 (2012年8月17日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ “真栄里ダム[沖縄県]”. ダム便覧. 一般財団法人日本ダム協会. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “底原ダム[沖縄県]”. ダム便覧. 一般財団法人日本ダム協会. 2018年10月7日閲覧。
- ^ “底原ダムの諸元”. 沖縄県 (2012年8月17日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ “石垣ダム[沖縄県]”. ダム便覧. 一般財団法人日本ダム協会. 2018年10月7日閲覧。
関連項目
参考文献
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館(『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
- 宮良村誌編集委員会編 『宮良村誌』 pp.55-57、宮良公民館、1986年