人物
早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院文学研究科博士課程修了。1959年の朝鮮史研究会の創設に関わる。
日本の朝鮮植民地を批判する立場で、自由主義史観研究会批判、新しい歴史教科書をつくる会批判[1]、日韓併合の不当を主張する「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」[2] などのアピールや声明に名を連ねてきた。
平凡社刊『朝鮮を知る事典』(1986年版)の「1943年からは女子挺身隊の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」という記述は、千田夏光『従軍慰安婦』を読んで、宮田が執筆したという(『朝日新聞』2014年8月5日の検証記事)。これを『朝日新聞』の記者が引用して朝日新聞の慰安婦報道問題に発展したという[3][4]。これについて下川正晴は、「慰安婦=挺身隊」を混同する学者の失態だとして、「開いた口が塞がらない。」「日本の朝鮮史研究の水準が分かろうというものだ。新聞記者だけでなく、歴史研究者までもが、韓国人の無責任な言い分に引きづられたのである。日本のコリア研究に特有な贖罪史観のなせる技だと言うしかない。」と批判している[3][4]。
1965年に日本朝鮮研究所から『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』という共著書を刊行しており、下川正晴は、日本人の「コリア誤解」の深淵であり、共著者の安藤彦太郎、寺尾五郎、宮田節子、吉岡吉典を「今や知る人も少なくなった面々」と評している。ちなみに、「日朝中」で「韓国」がないのは、「日韓会談粉砕のために」という副題がついており、日韓基本条約に反対しているからだという[5]。
著書
脚注
参考文献
- 第3回定例研究会. 早稲田大学韓国学研究所