宮津 航一(みやつ こういち、2003年11月5日 - )は、日本の大学生、子ども食堂を運営する「ふるさと元気子ども食堂」の代表[1]。「(こうのとりのゆりかご)」に預けられたことで知られる。
こうのとりのゆりかご
2007年5月10日、熊本市の慈恵病院に設けられた「(こうのとりのゆりかご)」の運用初日の午後に、最初に預けられた。当初想定していた乳児ではなく、3歳での預け入れであった。[2][3]。
その後
航一は、慈恵病院から児童相談所へ送られ、数ヶ月後に熊本市で飲食店を営み、5人の実子がいた里親の宮津美光・みどり夫妻に引き取られ、宮津家で養育されることとなった[3][4]。
熊本市立託麻東小学校へ入学。航一が小学校低学年であったころ、親戚が名乗り出たことから、本来の名や、実母が生後5か月の時に交通事故死していたことなどが判明した[3]。
熊本市立二岡中学校では生徒会長を務め[5]、高校は熊本マリスト学園高等学校[6]。中学校・高校では陸上部の主将を務める[5]。自己記録は10秒96(公認記録)。高校2年のときに正式に宮津家と普通養子縁組した[3]。また、2021年からふるさと元気子ども食堂の代表として活動を行う[3][6]。
2022年、宮津航一は高校を卒業して熊本県立大学に進学した[4]。これを機に、「自分の発言に責任を持てる年齢になったので、自分の言葉で伝えたい」として、預けられた子として初めて実名を明かして「こうのとりのゆりかご」について語るようになった[3]。熊本朝日放送は、宮津に密着したドキュメンタリー『告白、そして僕は~ゆりかごに預けられて~』を制作し、5月22日に放映した[7]。
現在は大学学業の傍ら熊本県警察本部長委嘱少年サポーター、熊本県ファミリーホーム協議会事務局、大学学生団体部長など様々な活動に取り組んでいる。講演等で当事者活動も行っている。
脚注
- ^ ふるさと元気子ども食堂 (熊本県熊本市) (@hurusatogenki.cs) - Instagram
- ^ “赤ちゃんポストに想定外の3歳児 父親と来たと話す 運用初日/熊本・慈恵病院”. 読売新聞・東京夕刊: p. 1. (2007年5月15日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b c d e f 伊藤崇 (2022年3月27日). “[あれから]Vol.22 18歳になった〈ぼく〉(連載)その2”. 読売新聞・東京朝刊: p. 34 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b c “(1)159人の一人の僕 大切なのは「その後」の人生 <ゆりかご15年>連載 第1部”. 熊本日日新聞. (2022年3月26日)2022年6月17日閲覧。
- ^ a b “成人年齢が20歳から18歳へと… コラム 滴一滴”. 山陽新聞社 (2022年4月6日). 2022年7月1日閲覧。
- ^ a b 熊本日日新聞 (2021年6月22日). “高校生切り盛り、子ども食堂開店 熊本市のカトリック帯山協会”. 独立行政法人福祉医療機構. 2022年6月17日閲覧。
- ^ “「ゆりかご」に預けられた当事者に密着 あすKABで放送 /熊本県”. 朝日新聞・朝刊・熊本: p. 25. (2022年5月21日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧