宍戸 広匡(ししど ひろまさ)は、江戸時代初期の長州藩毛利家家臣。宍戸家第15代当主。父は宍戸元続。母は口羽通良の娘。正室は穂井田元清の娘。子は宍戸就尚、熊谷元実。通称は弥三郎、出雲。初名は広続。
生涯
生年は不明であるが、毛利氏重臣である宍戸元続の嫡男として生まれる。
元和元年(1615年)、(佐野道可事件)の処理後に父・元続が隠居したため家督相続し、佐波郡右田領主長州藩一門家老となって、藩主・毛利秀就に仕えた。
寛永元年(1624年)に隠居して家督を長男・就尚に譲り、寛永2年(1625年)の藩内の知行替えで、右田から熊毛郡三丘に移る。
寛永3年(1626年)8月22日に死去したとされるが、閥閲録の異本によると正保元年(1644年)8月22日に死去したとする説もある。
なお、寛永3年(1626年)には次男・元実が藩主・秀就の命で熊谷家を相続している。
参考文献
- (石川卓美)『防長歴史用語辞典』
- 『萩判閥閲録』巻1「宍戸美濃」