安田 謙一(やすだ けんいち、1962年1月25日 - )は、兵庫県神戸市出身の文筆家、ラジオDJ、作詞家。自称は「ロック漫筆家」。兵庫県在住。血液型はO型。
プロフィール
兵庫県神戸市出身。滝川高等学校卒業後、情報系企業に就職するが2か月で退職。京都へと転居し、複数のレコード店にアルバイト勤務するかたわら、ミニコミ「3ちゃんロック」を発行。その後、現在のメールマガジンを先駆けてしまった感もある(FAXマガジン)「今週のテンチングス」を創刊、並行して「ミュージック・マガジン」などの、主として音楽専門誌に寄稿を始める。1990年代には「安田ビル」という筆名でも活動していた。2002年までに書かれたこれらの批評やエッセイをまとめたものは『ピントがボケる音』として、2003年に国書刊行会から上梓されており、それ以降の2012年までに書かれたものは『なんとかと なんとかがいた なんとかズ』としてまとめられ、(プレスポップ)から出版されている。 2003年以降は(文筆業)を主とし、「(ロック漫筆家)」を肩書としている。
活動
「(月刊CDジャーナル)」誌上に漫画家辻井タカヒロとの共著による『書をステディ町へレディゴー』(旧題『(ロックンロールストーブリーグ)』。2010年8月号よりタイトルを変更した)[1]を、また「ミュージック・マガジン」に『(これがヒットか!?)』を連載する他、さまざまな雑誌や媒体等に寄稿している。
その他の活動
DJ
80年代後期から90年代にかけて(内門洋)とのコンビによるDJチーム、(サウンドバビッチ)で活動。
ラジオDJ
80年代中期、ラジオ関西でオンエアされていた深夜番組「つかしんミュージックウェーブ」の水曜日『(ポップス渦巻島)』の担当DJで、番組構成も担当していた。この「つかしんミュージックウェーブ」では、他にも中村とうよう、阿木譲等が日替わりで担当DJを務めていた。この番組タイトルは石井輝男の映画「(女体渦巻島)」からとったものである。
2011年4月5日から2014年9月16日までラジオ関西のプロ野球のナイター中継が無い火曜の19時から21時40分まで放送される生番組「夜のピンチヒッター」のディスクジョッキーを担当。2015年は編成上の都合で休止していたが、2016年4月15日より金曜日の17時55分から22時までと同名タイトルのまま、放送日時を移動して放送されることになった。
作詞家
- 『蛇はスネーク』 「ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説」(キューンレコード 1993年6月)所収
- 『THE 絶望行進曲』 「別冊モダンチョキチョキズ臨時増刊号」(キューンレコード 1994年6月)所収
- 『バブル』 「くまちゃん」(キューンレコード 1994年11月)所収
バンドマン
- アマリリス
- (タマス&ポチス)
- (ゲンシシンボス)
- (THE神SUN)
関わった作品、アーティストなど
連載
- 『書をステディ町へレディゴー』(漫画家辻井タカヒロとの共著、旧題は『(ロックンロールストーブリーグ)』)((月刊CDジャーナル)」 音楽出版社)
- 『これがヒットか!?』(月刊「ミュージック・マガジン」 ミュージックマガジン社)
- 『人間、ライブが資本主義』(「月刊(ミーツ・リージョナル)」 京阪神エルマガジン社)
- 『月刊不老不死』(「月刊(てりとりぃ)」 (TV AGE))
- 『レコードのわるぐち』((森本書店))
- 『クレイジーケンバンド友の会 会報誌』
著書
- 『ピントがボケる音』(2003年10月 国書刊行会)
- 『すべてのレコジャケはバナナにあこがれる』((市川誠)との共著)(2004年8月 太田出版)
- 『ロックンロールストーブリーグ〜ステレオ! 〜これがロック漫筆 VOL.1〜』(辻井タカヒロとの共著)(2010年4月 音楽出版社)
- 『なんとかと なんとかがいた なんとかズ』(2012年12月 (presspop inc))
- 『神戸、書いてどうなるのか』(2015年11月 ぴあ)
- 『書をステディー町へレディゴー』(辻井タカヒロとの共著)(2019年11月 (誠光社))
- 『ライブ漫筆』(2020年8月 (誠光社))
ラジオ
審査員
- 文化庁芸術祭大衆芸能部門(関西の部)
脚注
- ^ 2004年7月号掲載分のみ、若い女性読者を意識し、目次およびタイトルを「ロックンロールストーブリーグ」から「ダイエット二重まぶた」に改名したことがある。
関連項目
外部リンク
- 「ラジオ関西 放送予定スケジュール」
- 辻井タカヒロ「冗漫タイムス」[3]
- 「ちょっとピントがボケる音」[4]
- 「月刊てりとりぃ」https://territory.hatenadiary.org/ 「月刊不老不死」連載中
- 『夜のピンチヒッター』(Twitter)[5]