安倍川花火大会(あべがわはなびたいかい)は、静岡県の安倍川沿い(葵区の安倍川橋上流、安西橋下流左岸周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる東海地方でも有数の花火大会である。
安倍川花火大会 Abekawahanabitaikai | |
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安倍川花火大会 (2022年7月) | |
概要 | |
開催時期 | 7月最終土曜日 |
初回開催 | 1953年(昭和28年)8月 |
会場・場所 | 静岡県静岡市葵区田町七地先(安倍川橋上流、安西橋下流左岸周辺)河川敷 |
打ち上げ数 | 約15,000発 |
主催 | 安倍川花火大会本部 |
後援 | 主催・後援・協力 欄参照 |
協力 | 静岡市 |
人出 | 約35万[1]人(2022年) |
外部リンク | 公式サイト |
花火大会の開場である安倍川は、静岡県と山梨県の境を通り流域が静岡市内にあり、静岡市の市街地の西側を流れて駿河湾に注いでいる。江戸時代初頭、徳川家康によって天下普請として大規模な治水工事が行なわれ、また、防衛上の理由から橋の架設が認められなかったことから、旅人は渡し船や川渡し人足の肩車や輦台に乗って渡った。安倍川は水が綺麗なことで知られ、2008年(平成20年)には環境省から「平成の名水百選」に選定されている。
歴史
- 静岡大空襲
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明、米軍のB-29爆撃機137機が旧静岡市(現在の静岡市葵区・駿河区)を襲った(静岡大空襲)[2]。静岡市は焼け野原となったが、昭和20年11月、戦災復興院により「戦災都市復興計画」が策定され復興への道を歩み出し、基本方針に基づき区画整理事業や上水道事業などが開始された[2]。また、応急簡易住宅3,293戸が建設された[2]。
街が復興へ歩み始めた昭和20年代後半、静岡大空襲の記憶を風化させてはならないと田町学区の元静岡市議で青年団長の杉山伊三雄らから「安倍川で花火を上げよう」という声が上がった[2]。田町に住む元青年団だった村松仁平は、二尺玉を打ち上げるための資金集めを行い[注 1]、統治下だった連合国軍総司令部(GHQ)の許可を得た[注 2][2]。
- 第1回開催
第1回の開催は1953年(昭和28年)8月、静岡西部発展会により、安倍川川原の安倍川橋と東海道線鉄橋の中間において「東海道花火大会」として行われた[3]。第2回と第3回は、地元の木工業界との協力により「木工祭花火大会」として、行政中心の城内の堀に移して行われた[3]。第4回の花火大会より安倍川花火大会となり、安倍川の河原で行われるようになった[3]。
打ち上げ開場の安倍川の河原は大勢の市民でにぎわい、安倍川周辺では露店が連なり繁盛した[注 3][2]。2尺玉は大きな音とともに大輪の花火が夜空を焦がした[2]。村松は花火の打ち上げにより「街が元気付いたように思う」といった、この花火大会についての記録はないが、安倍川花火大会が始まるきっかけになった[2]。
- 戦没者追悼
安倍川花火大会の日には、花火大会主催者による恒例行事として、戦没者などを追悼する慰霊祭が葵区の安倍川河川敷で執り行われる[2]。感応寺住職の伊藤通明は半世紀以上にわたって導師を務める[2]。伊藤は学徒出陣で佐賀県唐津で終戦を迎え、静岡大空襲で焼失した寺の再建に奔走した[注 4][2]。第1回の花火大会を見た時「平和っていいな」としみじみと感じたことを覚えているという[2]。
静岡市の復興が進み、1955年(昭和30年)には、感応寺の本堂は鉄筋コンクリートになり、伊藤は父に代わって戦没者慰霊祭の導師を務めるようになった[2]。花火大会を毎年迎えるたびに、伊藤は空襲で亡くなった人たちもこの花火を見て喜んでくれているだろうかと思いを新たにしている[2]。
- 日米合同慰霊祭
2015年(平成27年)6月20日、戦後70年の節目として、静岡大空襲で犠牲になった静岡市民と墜落した米軍爆撃機B-29の搭乗者23人を弔う「日米合同慰霊祭」が、葵区の賤機山に立つ慰霊碑前で執り行われた[4]。遺族や自衛隊関係者、米軍横田基地の儀仗隊員ら約200人が出席した[注 5][注 6][4]。駿府城公園では「静岡空襲犠牲者追悼のつどい」が開かれた[4]。
- 5年ぶりの開催
2018年、2019年は台風の影響で中止され、2020年と2021年は新型コロナウイルスの感染防止対策により中止された。そして5年ぶりとなる2022年、第69回安倍川花火大会は7月23日に開催された[5]。今回の開催に於いても、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、開催時間を例年の2時間から1時間に短縮し、観覧席は桟敷席を設置しない。打ち上げ場所も1カ所から4カ所に増やした[6][7]。また、悪天候の場合の予備日は設けず中止とした[6][7]。
主な開催記録
- 第1回 - 1953年(昭和28年)8月20日、「東海道花火大会」静岡西部発展会により安倍川橋と東海道線鉄橋間の安倍川川原で開催[8]。
- 第2・3回 - 「木工祭花火大会」木工業界の協力により駿府城内の堀で開催[8]。
- 第4回 - 「安倍川花火大会」新通学区の協力により安倍川の河原で開催、大落雷に遭い中止[8]。
- 第5回 - 1958年(昭和33年)7月20日、5学区の協力体制により安倍川の河原で花火師は田畑煙火株式会社[9](浜松市)、株式会社イケブン[10](藤枝市)の2店、観客数5万人[8]。
- 第6回 - 薄暮花火「けむり」が始められ、初めて2尺玉打ち上げ[8]。
- 第7回 - スポンサー数も増え、仕掛け花火も13基、スターマイン提供29発打ち上げた[8]。
- 第9回 - 安心堂から「真冬の夜の夢」の大仕掛花火の提供[8]。
- 第10回 - 花火師は田畑煙火株式会社、株式会社イケブン、株式会社光屋窪田煙火工場[11](静岡市)、株式会社煙火工場神戸[12](島田市)の4店[8]。
- 第12回 - 開催日を7月末土曜日に変更[8]。
- 第13回 - 浜田産業がカッパ音頭を作り花火の合間に踊った[8]。
- 第14回 - 静岡市がアメリカのオマハ市と姉妹関係、留学生が浴衣がけ日本スタイルで観賞[8]。
- 第18回 - 桟敷席がタタミ表を利用[8]。
- 第20回 - 記念大会、仕掛け花火・スターマイン30発、尺玉24発、7・8寸70発打ち上げ、観客数35万人[8]。
- 第21回 - 七夕台風の直撃を受け、1ヶ月遅らせて8月24日開催[8]。
- 第25回 - 記念大会、総会に規約案が提出され部分改正、現在の大会運営となっている[8]。
- 第26回 - 静商裏のスポーツ広場を観客席として拡大、安心堂を含め8スポンサーが利用[8]。
- 第27回 - ハッピを作り着用するようになった[8]。
- 第30回 - 静岡第一テレビの協賛、前夜祭の盆踊りを演出、テレビで放送[8]。
- 第32回 - 特別招待席を廃止、全席を一般観客席とした[8]。
- 第34回 - 静岡商工会議所青年部協賛、安倍川蓮台越競争6チーム参加[8]。
- 第35回 - 1988年(昭和63年)10月、記念大会、カラー写真の大型ポスターを作り、7,000発と尺玉20連発打ち上げ[8]。
- 第38回 - 高校総体に合わせ1週間遅らせ8月3日開催、30数年ぶりの2尺玉打ち上げ[8]。
- 第50回 - 2003年(平成15年)記念大会[8]。
- 第52回 - 2005年(平成17年)政令指定都市「静岡」誕生を祝う記念大会、観客数50万人[8]。
- 第65・66回 - 2018年(平成30年)、2019年(令和元年)台風の影響で中止された[6]。
- 第67・68回 - 2020年(令和2年)、2021年(令和3年)新型コロナウイルスの感染防止対策により中止された[6]。
- 第69回 - 2022年(令和4年)新型コロナウイルス感染拡大防止対策を行い5年ぶりの開催[6]。大会本部によると約35万人の来場があった[1]。
- 第70回 - 2023年(令和5年)7月22日開催予定、1時間半、1万5千発[13]。
開催内容
主催・後援・協力
- 主催 - 安倍川花火大会本部[3]
- 後援 - 公益財団法人するが企画観光局、静岡商工会議所、NHK静岡放送局、株式会社静岡新聞社、静岡放送株式会社、株式会社テレビ静岡、株式会社静岡朝日テレビ、株式会社静岡第一テレビ、76.9FM.hi[15][3]
- 協力支援 - 静岡市 [3]
会場アクセス
- 最寄駅
- 東海道本線静岡駅(JR東海) - 徒歩ルート約40分(呉服町通り、七間町通り、駒形通り 約2.8km)[16]
- 静鉄新静岡駅 - 徒歩ルート約40分(北街道、呉服町通り、七間町通り、駒形通り 約2.8km)[16]
- シャトルバス(しずてつジャストライン) - 静岡県庁南(午後4時より臨時シャトルバス乗り場、静岡駅より徒歩約10分)より会場まで道路が大変混雑する(大人190円、子ども100円)[17]
- 交通規制
- 交通規制案内図 - 安倍川花火大会本部、静岡中央警察署、静岡南警察署、静鉄バスコールセンター[14]
エピソード
脚注
注釈
- ^ 第1回開催時は、2尺玉花火の購入に2尺玉の模型を神輿に乗せ「ワッショイ、ワッショイ」と練り歩いて資金は順調に集まった。
- ^ 連合国軍総司令部の統治下で、花火大会開催には占領軍の許可が必要で、上空何メートル以上は不可、二尺玉は不可などの規則があり、特殊玉ということで許可をもらった。
- ^ 安倍川の河原では、露店が沢山並び安倍川餅やおでんなどを売り市民は並んで買った。
- ^ 感応寺住職の伊藤の母は、肥やしをかつぎ畑仕事でサツマイモやカボチャなどを育て家族を支えた。
- ^ 合同慰霊祭では、横田基地司令のギャリー・G・メーヤー大佐や田辺信宏市長が、米政府から贈られたハナミズキの木に献水した。
- ^ 列席者は慰霊碑に焼香し、B-29搭乗員の遺品の水筒にウイスキーを入れ慰霊碑に献酒した。
出典
- ^ a b 『あなたの静岡新聞』「コロナ沈静化祈る大輪 安倍川花火大会、5年ぶり開催 静岡」2022年7月26日、同年月26日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『産経新聞』「静岡大空襲(下) 安倍川花火とともに歩んだ復興」2015年7月22日、2022年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 『安倍川花火大会』ホームページ、2022年6月16日閲覧。
- ^ a b c d 『静岡新聞 戦後70年取材班』「静岡大空襲 鎮魂の念深く 日米合同で慰霊 追悼つどいも「平和継承へ」」2015年6月20日、2022年6月16日閲覧。
- ^ 『あなたの静岡新聞』「安倍川花火7月23日開催へ 5年ぶり、時短など感染対策」2022年6月11日、2022年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『あなたの静岡新聞』「安倍川花火大会、7月23日開催発表 5年ぶり、1時間に短縮」2022年6月18日、2022年6月18日閲覧。
- ^ a b c d 『安倍川花火大会』「第69回安倍川花火大会について」2022年6月21日、2022年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『安倍川花火大会』「安倍川花火大会の歩み」2022年6月18日閲覧。
- ^ 『田畑煙火株式会社』2022年6月23日閲覧。
- ^ 『株式会社イケブン』2022年6月23日閲覧。
- ^ 『株式会社光屋窪田煙火工場』2022年6月23日閲覧。
- ^ 『株式会社煙火工場神戸』2022年6月23日閲覧。
- ^ “安倍川花火大会 7月22日開催、打ち上げ1時間半、1万5千発大会本部が決定”. あなたの静岡新聞 (2023年4月16日). 2023年5月18日閲覧。
- ^ a b 『安倍川花火大会』「交通規制」2022年6月17日閲覧。
- ^ 『株式会社シティエフエム静岡』「76.9FM.hi」2022年月19日閲覧。
- ^ a b 『安倍川花火大会』「徒歩ルートマップ」2022年6月17日閲覧。
- ^ 『安倍川花火大会』「バス案内」2022年6月17日閲覧。
関連文献
- 『安倍川 その風土と文化』「安倍川花火大会」富山昭、中村羊一郎著、静岡新聞社、1980年8月、2022年6月25日閲覧。
- 『静岡市の100年写真集』「安倍川花火大会・フェスタしずおか」 静岡新聞社編、静岡新聞社、1988年4月、2022年6月25日閲覧。
- 『静岡県の祭ごよみ』「安倍川花火大会・静岡市」 静岡県民俗学会編、静岡新聞社、1990年10月、2022年6月25日閲覧。
- 『花火の名称 安倍川花火大会の歩み』 安倍川花火大会本部編、安倍川花火大会本部、2006年5月、2022年6月25日閲覧。
- 『食品衛生研究 Food sanitation research』「安倍川花火大会における集団食中毒の発生について」鈴木忍、永井幹美、井上一他著、東京 日本食品衛生協会、2015年9月、2022年6月25日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 安倍川花火大会公式ホームページ
- 公益社団法人 日本煙火協会