伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の政治家(日本社会党)。位階は正三位。勲等は勲一等。
経歴
- 1915年(大正4年)-北海道東神楽村(現東神楽町)出身[1]。
- 1940年(昭和15年)-(東北帝国大学)法学部を卒業し、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社し、秋田県の尾去沢鉱業所に勤務[2][1]。
- 1944年(昭和19年)-吉田貞次郎衆議院議員(元上富良野村長)の娘の弥生と結婚[1]。
- 1945年(昭和20年)-父で、東神楽村長代理助役の安井吉太郎が死去[1]。
- 1946年(昭和21年)-父が死去したため、家業の農業を継ぐため退社し、郷里の上川支庁東神楽村に帰郷[1]。
- 1947年(昭和22年)-東神楽村長に当選し、全道最年少村長となる。3期11年務める[1]。
- 1956年(昭和31年)-大凶作では村内に「困ったこと相談所」を10ヶ所設置し、農家金融対策や、冷害克服生活改善運動を展開した。
- 1958年(昭和33年)-第28回衆議院議員総選挙北海道2区に日本社会党公認で出馬し、初当選。以来連続11回当選を果たした。
- 1972年(昭和47年)-日本社会党沖縄対策特別委員長就任[3]。
- 1977年(昭和52年)-日本社会党副委員長就任。
- 1989年(平成元年)-衆議院副議長に就任。
- 1990年(平成2年)2月-第39回衆議院議員総選挙に出馬せず、引退。息子を後継に推す周囲に「世襲はいけない」と断り、佐々木秀典を後継者にした[4]。
- 2007年(平成19年)-東神楽町を離れ、横浜市に移住[2]。
- 2012年(平成24年)-肺炎のため横浜市の病院で死去[6]。97歳没。没日付をもって正三位が追贈された[7]。