『天使のたまご』(てんしのたまご)は、1985年12月15日に発売された日本のOVAである。原案・監督・脚本は、押井守。71分。発売元は徳間書店。DVD版も2001年にパイオニアLDCから販売されている。2007年1月に徳間書店よりDVD版再発。2013年8月にはBlu-ray版が発売された。発売元は徳間書店、販売元はポニーキャニオン。
あらすじ
作品の性質上、憶測が含まれている可能性もあります。 |
ノアの方舟が陸地を見つけられなかったもう1つの世界。巨大な眼球を模し、中に複数の人型の彫像が鎮座する宗教の象徴のような機械仕掛けの太陽が海に沈み、世界は夜を迎える。
方舟の中の動物がすべて化石になった頃、忘れ去られた街で一人の少年と一人の少女が出会う。
少女は思い出せないくらい昔からそこにいて卵を抱いている。それが「天使のたまご」だと信じて。
少年は少女に言う。「卵というのは、割ってみなくては中に何が入っているのか分からないのだよ」と。
夜ごとに、忘れ去られた街では魚の影が現れ、影を狩るために漁師たちが銛を打つ。そして激しい雨が街を水没させる。
少年が「鳥を知ってるよ」という少女に連れられて見たものは羽の生えた人間を模した天使の骸骨の化石だった。少女はこの天使を孵すために卵をあたためているのだと言う。
少女が深い眠りについている時、眠れない少年は卵を打ち砕いて、彼女の元を去った。
その事に気づいた少女は去っていく少年を追う。だが、途中で地面の裂け目に気づかず、水を湛えたその裂け目の中へ真っ逆さまに墜落してゆく。まるで水に映ったもう一人の自分と出会うようにして。
海岸でまた一人になった少年は海を見つめる。再び世界が朝を迎え、海から太陽が上がる。その中に新しい彫像があった。卵を抱いた少女のものであった。少年は、いつまでも少女の彫像を見上げるのだった。
空を見上げる少年を上から見る映像。その映像はどんどん引いていき、最後に少年の立っている海岸、世界の形が明かされる。世界が巨大な方舟であることが明らかになり、物語は幕を閉じる。
登場人物
作品概要
生死や世界の変化は描かれるものの起伏のあるストーリーはほとんど存在しない前衛的内容である。押井が言うに、見所はストーリーではなく、たまごの中に何が入っているのかという点であるという。
旧約聖書・創世記に登場するノアの方舟のエピソードを独自に解釈した物語をベースにしている[3]。キーワード「方舟」は押井の複数の後作に形を変えて登場しており、押井の作品世界を語る上で重要な一作である。なお「はこぶね」の一般的な漢字表記としては「箱船」「箱舟」等複数の表記があるが、押井はこの作品以降「方舟」に統一した。
この作品は海外へのロケハンの予算が得られなかったため、フランスの地方都市の写真集を基にして構想されている。その無人の路地・石畳の舗道・建築の奇怪な意匠・空を映す窓等の写真から、半ば自動的に設定が生まれ、街の様式や意匠を描写することで物語以前の何かを表現のみで成立するアニメを実現しようと試みたという。
登場する意味深げなモチーフは聖書におけるシンボルの暗喩で、例えば「魚」は「言葉」、「鳥」は「命」を意味するなどが挙げられるという考察もある[4]。原画担当だった当時若手の貞本義行曰く、この時の押井は聖書のシンボル事典を横に置いて作業していたという。全体のモチーフは、押井が影響を受けたアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』に酷似している[5]。
この作品自身もビデオソフト[6]が後に廃盤になり、DVDなどで再発されるまでの間、作品の入手手段が完全になくなる不遇の時代を経験している。監督料はもらわずに、制作者印税のみの契約だったが[7]、印税はほとんど入らなかったので貧乏生活を送った。
日本国外での権利は、著作権者である徳間書店の尾形英夫が独断でロジャー・コーマンに売却し、その後は転売が繰り返されて、2010年時点での国外での著作権者は不明になっている[8]。海外での反応は大きいものの、海外展開は「未来永劫不可能」と言っても過言ではない状況になっている[7]。
製作
背景
当初押井はこの作品を、「わけのわからない連中がたむろする24時間営業のコンビニエンスストアに、何故か毎夜8時になると空から方舟が降りてくる[9]。ある日卵を抱えた少女が突如方舟から降りてくる[10]」という、コミカルで軽い雰囲気に仕上げようと考えていた[11]そうだが、天野の絵を見た途端に「このキャラで現実の日本を舞台にするのは辛い」[9]「これはまっとうなファンタジーでやらないと駄目だ」と考えを改めた。
基本コンセプトは「基本は固定された画面で進行し、フォロー・ショット、パンは使わない」[12]「時代の中の無意識を取り出す。それに成功すれば、観客個人の無意識の中にある風景に共感してくれるのではないか」「語っても言葉にならない部分を伝えて、時代を違った角度から明かす」[1]。「日常を忘れてスカッとさせるのではなく、観客が予想もしなかった物を見つけ出す喜びを見出せるようなエンターテイメント作品を作る」[13]「カール・グスタフ・ユングの分析心理学の『元型』『集合的無意識』の要領であらゆるモチーフを象徴的表現・暗喩で埋め尽くす」[14]事とした。
「映画として発表すると企画が通らなくなるし、映画として発表してはいけない」と察し、重役会議の際に押井はスポンサーの徳間書店に対して、「単純な、男と女の物語である」「この作品は作家の書き下ろしの小説の枠でやらせてくれ。原作も書くから」と説得した。結果徳間書店のバックアップと制作費8千万円を受け、この『天使のたまご』が世に出ることになった[7]。押井と当時徳間書店の編集者であった鈴木敏夫が組んだ初めての作品である。『天使のたまご』というタイトルも鈴木が考案した(押井が仮でつけていたタイトルは『水棲都市』だったという)。
脚本
最初に押井がプロットを書き、「企画を通したいから、物語だけではなくて、イメージボードも欲しい」と天野にオファーを出した。プロットの時点で天野は作品の世界観の広さを感じ、「時間があれば幾らでも描けそう」と思いながらも、広がりを留めてコンセプトを固めるために、押井に書きたいテーマをピックアップした上でイメージボードを書き上げていった。天野が描き上げたイメージボードをアニメーター達に見てもらい、追加して欲しいアイディアを募り、同時にレイアウトシステムも構築していった[15]。
正式な脚本の決定稿はないも同然で、事前にメモに書き込んだ「受胎告知」「方舟」「沈む太陽」「夜に十字架を背負って、戦車に乗って訪れる少年」等のアイディアをいきなり絵コンテで描きながら、はめ込んでいった。これは「アンドレイ・タルコフスキーの様に起承転結のあるドラマではなく、表現だけで映画を作る」という狙いがあった[16]。
デザイン
キャラクターデザインは天野が担当し、影の付け方まで指定したが、線の引き方は作画監督の名倉靖博がまとめた[17]。押井は名倉に「体が普通に動いていても、髪の毛はスローモーション気味に」という演出指示に答えるために、髪の毛の量感が多くなった。それは線も増えていくことであり、動画スタッフ達からは「動かせない」とクレームが来て、それでも名倉は「やって下さい」と頭を下げた[18]。
天野は「僕がまとめて線までやったら、あの感じにはならなかった。名倉君が1本1本こだわって描いてくれたので、驚きながらもピッタリきた」と称賛した[17]。
押井は「内臓を詰め込んだ甲冑みたいな感じで」と戦車のデザインを発注し、見事に天野は注文通りの戦車を書いたが、そのまま使うのは動画にできないので、名倉がデザインを清書した。戦車一個中隊が出現するシーンはラッシュフィルムを見た押井が「血が逆流した」と興奮したが、その60枚分の動画が完成するのに2か月かかり、仕上げのスタッフ達からはクレームがきた[14]。
美術
小林七郎は「美術背景の上に更にサインペンでタッチ・色を描き込んだセル画を1枚のせる」という手法を全ての背景で採用した。これは「画面のリアリティを出したい」「『キャラクターの面白さ中心で、背景が主張し過ぎるとキャラクターが死んでしまうから適当でいい』なんて風潮はおかしい。刺激がエスカレートしていくと、アニメーションを退廃させるという不毛の道を歩むことになってしまう」という小林の意向によるものである[19]。押井も「基本的に絵柄が良ければ、質感・色彩等は美術がどう捉えて、どう引き出すかに任せるべきだ」と考えて、敢えて止めなかった[20]。
小林は事前にアニメーターが描いてきたレイアウトを、事前に押井・天野とイメージボードで統一した「色のない世界」[21]「石柱のレイアウト一つとっても独特の理屈がある。どの様に画面を切り取るかで、奥行きが様変わりするから、それをどこまで制御して、どこを目立たせるか」というコンセプトに合わせて[22]、ゴシック調の世界観を持ち込み、重量感のある世界を作り出していった[23]。そのために、形・線・タッチ・色調・明暗等を全て統一・修正していった[19]。作画スケジュールの半分はレイアウトの修正に費やした。小林は美術・レイアウト以外に色彩設計にも関与したため、半分以上が1枚毎の背景美術の表現力を高める作業となり[24]、カット数は通常の映画の3分の1(71分で約400カット)となった[25]。
小林は、作業の際にまず「上がってきた背景原図を問答無用で消しゴムで消す」所から始めた。当然上げたアニメーター達からは非難が殺到したが、小林は全く動揺せず[26]、消しながら「レイアウトは理屈であり、雰囲気ではない」「明確な理論を持った上で上げなければいけない」「嘘を排除していけば、自ずと画面は存在感を持ったものになる」[27]ということをアニメーター達の目の前で説教した。その叱責は「罵詈雑言」と言ってもいい程にひたすら貶すような言い方だったため、押井は「どうしてそこまで言うんだろう」と引いた。ただ、修正された背景は確実に良くなっていったため、アニメーター達と押井は全く文句が言えず、納得するしかなかった[26]。
押井はこの経験を元に基本的なレイアウトの見方を学び、「『機動警察パトレイバー』以降で、レイアウトをチェックする時に三角定規を手放せなくなった」と語り[26]、後に独自のレイアウトシステムを確立する契機となった[28]。
作画
名倉は鈴木から誘われる形で参加して、原画スタッフとしての作業に留まる予定だった。当初は作画監督はなかむらたかしが務める予定だったが、「工事中止命令」の作業が大詰めを迎えていたため、なかむらは参加できなくなった。困った押井が名倉が描いたレイアウト・原画が本作の世界観にハマっていたのを見て、押井の独断で名倉を作画監督に任命した[18]。
名倉は今までの現場で作画枚数が制限されていたことへの反動で、3コマでの描写でいい所を2コマにタイムシートの指示を書き換えたり、時には名倉自ら1コマの描写にして、髪・衣服の描写を強調した。実際の作画監督としての修正作業は3ヶ月しかなかったが、「死にそうだったけど、確実に次のステップになった。やってよかった」と振り返っている[18]。
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の企画書のイメージボードの書き方に悩んでいた貞本義行に、押井が「今、天野がイラストを描いているから勉強しに来い」と誘った。貞本は原画を描きながら、天野の仕事を後ろから眺めて、天野からは怪訝な表情をされた[29]。
庵野秀明が作画スタッフとして参加していたが、その想像を絶する仕事量に打ちのめされ、2週間で逃走した[30]。それから2021年の「庵野秀明展」にて、庵野が担当した本編では未使用のレイアウトが展示された。
音楽
1981年に「りゅうの目のなみだ」で共同で関わったつながりから、押井から菅野由弘にオファーが来た[31]。
押井からは「水の音と音楽だけで作品を作りたい」というコンセプトを提示された。そこから「ある程度動画が仕上がった所で、最初の劇伴の録音を行い、それに合わせてまた動画を作り出して、もう一度音楽を録音する」という双方向の作り方を採用した[31]。
1回目の録音の際にとてもいいテイクが上がったが、大幅に映像より長くなった曲があり、本来だったら録り直さなければいけなかった。しかし、押井は「絵の方を伸ばすから、今のを採用しよう」と決めた。それに菅野は嬉しさを覚えたが、直後に押井が「後400枚か」と言ったのを聞いて恐れおののいた[31]。
キャスティング
斯波重治は「この作品は形而上学的・観念的・啓示的な内容だ」という自身の思いを踏まえて、「子供から大人に変わる年代を意識した、キャラクターの年齢に近い人」ではなく「人間が背負っている重みが、画面を通じて声の中に出せる人」を基準に選び、「声の芝居の中に、役者の存在感を感じさせる」様な演じ方を要求した[32]。
根津に対しては、押井が根津に前々から抱いていたイメージを意識して、名指しで起用した[32]。
兵藤はアニメーションの仕事は本作が初めてだった。斯波がオーディションテープを初めて聞いた時は「キャラクターとの相性が良すぎて、役者の存在感が薄れてしまう」と危惧したが、次第に「少女の日常生活感を払拭し、且つ本来持っているキャラクターをきちんと出していける人だ」と判断して、起用した[32]。
1985年10月14日に押井・斯波・根津・兵藤が初めて顔合わせした。ミーティングの際に根津は押井に「キャラクターを捉まえるために、フィルムを見せて欲しい」と注文した[32]。兵藤はミーティング前にアフレコ台本を読み込み、キャラクターに対しての疑問点を書き出して、ミーティングの時に押井に質問して、解釈を深めていった[33]。アフレコは1985年11月15日・16日に行われた[32]。
監督による解説
焚き火の横で寝ている少女の側に少年がいて卵を割る場面については、二人がセックスをやっていると考えてもらってよい、そういう暗喩を目指した描写であったと発言している[34]。
大元のイメージは、押井が子供の頃に母親から聞いた「女の人は生まれた時からお腹にたまごを持って生まれてくる」という話[35]・テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」の「ずっと何かを待ち続けていた女の子が、他者に出会い、別れる事で世界が新しくなる」という関係性の変化を主軸にした物語[36]から作られている。
本作を、主人公に感情移入して、ストーリーを追っていく見方に対するアンチテーゼであったかもしれないと語っており、物語よりもアニメーションの表現を楽しむ姿勢を投げかけようとしたところがあり[37]、退屈で眠くなるようなギリギリのところで、緊張感を持続させる小刻みの感動を与え続けたいと語っている[38]。
たまごは「夢」「希望」「可能性」[36]「卵の中の鳥が見ている夢の中の世界」[30]みたいなもので、今はどこにもないものをお腹に抱えて生きており、一番大切なものと思って生きているが、それが打ち砕かれることなしに本当の現実に出会うことはなく[36]、出発はありえないといった意図を含んでおり、ラストに泡がたまごに変わったのは、救いや希望を托しているからであるという[39]。後に「比喩ではなく、卵子のことを指している」とも言った[35]。
魚は様々なモチーフに影響された結果で、「環八通りで魚が泳いでいたら面白いだろうな」「日常的に水没が繰り返される都市に、人間がいたら面白いだろう」という[25]日々の個人的な妄想などと混ざり合って表現されたと解説している[40]。そこから、「実体のはないけど、影だけはある魚」を絵として表現し、それを「無くなってしまった物の記憶であり、実在しないもの。つまり、たまごと全く同じ意味を持つ」ことを表現した。
戦車は「少女の性的な夢」[2]「攻撃的な男性」を表している[14]。
夜毎に水没を繰り返す街は「『ノアの方舟』からの水没した都市」[25]「あの街は方舟の上に乗っているものかもしれないし、水の底に沈んでいるものかもしれない。そこに生きている人間達がそれにすら気付かないだけなのかもしれない。同様に、人間と言うのは現実に生きていても現実を見ているわけではなくて、半ば夢・半ば現実という曖昧な中で生きているのではないのではないか」[41]「女性の身体的現象」[14]を表している。
水は「沈んでしまった世界の記憶であり、街全体が水の底にあるかもしれない」「透明で形も無いし、波紋が現れる時以外は存在があっても、どういう物なのかを指し示すことができない」というイメージを表し、作品世界を覆う程のテーマとなった[42]。
街の男達は「魚という実在しない存在を一生懸命に追いかけている」シーンを書くことで、「無いものを追い掛け回し、実在しないものが現れるのをひたすら待っている」「やっていることは少女と同じで、自分の事が全くわからない」ことを表現した[41]。
鳥・天使は「本来気持ち悪いものであり、今回は更に気持ち悪く」描こうとした[36]。天使に関しては「人間と神をつなぐ者」「人間を裁く者」という意味合いもある。天使の化石の存在は「裁く者も、救いをもたらす者もいなくなった世界」を示し、その痕跡に振り回されるキャラクターを描写しようとした[1]。羽毛は「鳥・天使はいないけど、羽毛は実在することで何らかの情緒・救いを出せれば」[36]「壮大な男性的原理そのもの」[14]と話している。
スタッフ
評価
押井はこの作品を作ったことにより、「わけのわからない物を作る監督」というレッテルを貼られ、『機動警察パトレイバー』の企画が来るまでその後の仕事の依頼がさっぱりなくなってしまった。ちなみに監督本人も通して見ると疲れるらしく、当時日本テレビのプロデューサーだった堀越徹は一回目に寝てしまい、讀賣テレビ放送の諏訪道彦も訳の解らないままテレビで放送したという。宮崎駿は本作に対し「努力は評価するが、他人には通じない」[43]「戦車を出した以上は、巨砲をぶっ放せ」[14]と述べており、さらに押井によると、直接自分に対して「帰りのことなんて何も考えてない」「あんなものよく作れた」「頭がおかしい」と言ったという[44]。
小林は出来上がった絵コンテを見た時から「これは絶対に売れるよ」[23]「ほとんど映画として完成してる」[45]と押井の手腕を絶賛した。
本作を観た押井の母親からも「もう観客が来なくなるのではないかと」今後を心配されている[46]。
布川ゆうじは「俺がプロデューサーだったら絶対やらせない」といい押井は「それでもやりたかった。宮崎駿になる気は毛頭なかったし、その時々のテーマに忠実でありたかった」と返している[7]。
関連書籍
いずれも徳間書店からの刊行。すべて長らく絶版となったが、2004年『イノセンス』公開時に再版された。『絵コンテ集』は2013年、『少女季』は2017年に、復刊ドットコムより再々版(『少女季』は天野喜孝のコメントが新たに収録されている)。
- 天野喜孝(絵) (あらきりつこ)、押井守(文)『天使のたまご 少女季』徳間書店、1985年 (ISBN 4-19-861802-X)
- アニメージュ編集部(編)『THE ART OF 天使のたまご』徳間書店、1986年
- 2004年の再版時に天野喜孝のイメージボード80ページを追加し、 増補改訂版((ISBN 4-19-810009-8))となる。
- 天野喜孝・押井守『天使のたまご』徳間書店<(アニメージュ文庫)>、1985年 (ISBN 4-19-669549-3)
- 『天使のたまご絵コンテ集』徳間書店、1985年 (ISBN 4-19-720230-X)
サウンドトラック
- 天使のたまご 音楽編
- 菅野由弘、JAN 4988008534030
- プレリュード
- 卵のみる夢
- 機械仕掛けの太陽
- 天使のたまごメインテーマ
- 水の記憶
- 窓の向こうに
- 水底の街
- 魚狩り
- オペラハウス
- 時の堆積
- 天使の化石
- 夜盗の如く
- 転生
- 異神と共に
本作の登場する作品
篠田節子の小説『聖域』には、登場人物が本作のビデオを鑑賞する場面がある。描写されている内容から見て、作者が本作を実際に鑑賞した上で執筆していることが窺える。
ベルギー出身の映画監督(カール・コルパート)の作品『(In The Aftermath: Angels Never Sleep)』(日本未公開)では新撮の実写シークエンスと『天使のたまご』のアニメーションをミックスし、最終戦争後の荒廃した世界が描かれている。
参考文献
- アニメージュ編集部「付録『天使のたまご GUIDE BOOK』」『アニメージュ』1985年12月号、徳間書店、1985年12月。
- アニメック編集部「「新春対談 押井守 VS 天野喜孝 『天たまについて』」、「解説 天使のたまご -押井守監督に聞く-」」『アニメック』1986年3月号、ラポート、1986年3月。
- 小林七郎『空気を描く美術 小林七郎画集』徳間書店、2002年。ISBN (978-4198614980)。
- 押井守『すべての映画はアニメになる』徳間書店<アニメージュ叢書>、2004年
- 押井守『勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉』徳間書店、2010年。ISBN (978-4198630072)。
脚注
- ^ a b c アニメック編集部 1986, p. 96.
- ^ a b アニメック編集部 1986, p. 97.
- ^ 作中でも少年が少女に旧約聖書からのノアの方舟の章の言葉を語る節がある
- ^ 岡田斗司夫の解説「BSアニメ夜話 機動警察パトレイバー」より
- ^ MIYADAI.com Blog「ずいぶん前ですが押井守『パトレーバー』についてのインタビューに応じました」(2006年10月09日、宮台真司)
- ^ VHS、Betamax、レーザーディスク
- ^ a b c d サイゾー刊「押井言論 2012 - 2015」押井守著pp.178-179より。
- ^ 押井守 2010, p. 94
- ^ a b アニメージュ編集部 1985, p. 38.
- ^ 天野由衣子、ヴァーンフリート(奥津英敏、平野奈津美、山本友美) 編「押井守クロニクル 天使のたまご」『押井守ワークス+スカイ・クロラ』宝島社、79頁。ISBN (978-4-7966-6393-9)。
- ^ 押井曰く「このままいったら『御先祖様万々歳!』になっていた」という
- ^ アニメック編集部 1986, p. 67.
- ^ アニメック編集部 1986, p. 98.
- ^ a b c d e f (大日本絵画)刊「押井守・映像機械論[メカフィリア]」押井守・竹内敦志著pp.74-75より。
- ^ アニメック編集部 1986, p. 65.
- ^ ビー・エヌ・エヌ刊「アニメーションの脚本術」野崎透著p.96より。
- ^ a b アニメージュ編集部 1985, p. 43.
- ^ a b c 講談社刊「アニメクリエイター・インタビューズ この人に話を聞きたい 2001-2002」小黒祐一郎著pp.136-139より。
- ^ a b アニメージュ編集部 1985, p. 40.
- ^ 小林七郎 2002, p. 76-77
- ^ アニメージュ編集部 1985, p. 41.
- ^ アニメック編集部 1986, p. 66.
- ^ a b 小林七郎 2002, p. 76
- ^ アニメック編集部 1986, p. 66-67.
- ^ a b c 徳間書店刊「アニメージュ」1985年8月号「天使のたまご 少年と少女が出会うのは水没した伝説の都市」pp.37-40より。
- ^ a b c 小林七郎 2002, p. 75
- ^ 小林七郎 2002, p. 78
- ^ 第4回 ひとつの転機となった『天使のたまご』 - 藤津亮太「『スカイ・クロラ』公開記念 押井マニア、知ったかぶり講座!」(WEBアニメスタイル、2008年7月28日)
- ^ 白夜書房刊「漫画魂 おしぐちたかしインタビュー集」(おしぐちたかし)編著pp.78-79より。
- ^ a b 朝日新聞出版刊「AERA」2001年4月30日・5月7日合併号「現代の肖像 映画監督 押井守 蝶の見た夢の世界に生きる男」p.71より。
- ^ a b c キネマ旬報社刊「押井守全仕事 増補改訂版」p.63より。
- ^ a b c d e アニメージュ編集部 1985, p. 47.
- ^ アニメージュ編集部 1985, p. 48.
- ^ 押井守『すべての映画はアニメになる[押井守発言集](アニメージュ叢書)』徳間書店、2004年、197-198頁。ISBN (978-4198618285)。
- ^ a b 押井守、2004年、p.131
- ^ a b c d e アニメージュ編集部 1985, p. 37.
- ^ 『アニメージュ』1986年5月号 別冊ふろく河森正治との対談での発言。
- ^ 押井、2004年、p.143
- ^ 押井、2004年、p.182
- ^ 押井、2004年、p.188
- ^ a b アニメック編集部 1986, p. 94.
- ^ アニメック編集部 1986, p. 95.
- ^ 宮崎駿「絵コンテを読んで 通俗文化の宿命」『天使のたまご絵コンテ集』徳間書店、1985年[]
- ^ 「宮崎駿の功罪」(押井と上野俊哉との対談)『クリエイターズファイル 宮崎駿の世界』竹書房<バンブームック>、2004年[]
- ^ 小林七郎 2002, p. 99
- ^ 押井、2004年、p.104