大須賀 忠政(おおすが ただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。上総久留里藩主、後に遠江横須賀藩の初代藩主。
生涯
生い立ち
天正9年(1581年)、徳川氏の重臣・榊原康政の長男として生まれる。同じく徳川氏の重臣だった外祖父大須賀康高に嗣子がなかったことから、天正17年(1589年)の康高の死後、その養子となって(大須賀氏)を継いだ。この時、徳川家康から松平姓を与えられた。榊原家は2人の弟忠長、康勝がそれぞれ父の後継者となった。
武将として
天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると、上総久留里に3万石を与えられた。慶長4年(1599年)、豊臣姓を下賜され[3]、4月17日に従五位下、出羽守に叙任される。関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)2月、上総久留里から遠江横須賀6万石に加増移封され、横須賀藩の初代藩主となった。慶長7年(1602年)、家康から松平姓を与えられた[4]。慶長10年(1605年)には大規模な検地を行ない、さらに城下町造りなどを積極的に行なって藩政の基礎を固めた。
慶長12年(1607年)春に病に倒れ、養生のために上洛したが、その甲斐なく9月11日に死去した。享年27。
跡を子の忠次が継いだ。忠次は後に父の旧姓である榊原家の家督を継承している。