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大陸戦争 (ACE COMBAT)

大陸戦争(たいりくせんそう、: Continental War)は、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス→バンダイナムコエンターテインメント)のPlayStation 2用(フライトシューティングゲーム)『ACE COMBAT 04 shattered skies』の舞台となった架空戦争。続編であるPlayStation 4用フライトシューティングゲーム『ACE COMBAT 7 SKIES UNKNOWN』で描かれる「第二次大陸戦争(灯台戦争)」との関連上、「第一次大陸戦争」と呼称されることもある。

大陸戦争
Continental War
戦争:大陸戦争
年月日:2003年夏 - 2005年9月19日
場所ユージア大陸全域
結果:ISAFの勝利
交戦勢力
ISAF
中央ユージア連合
ノースポイント
その他ISAF加盟国(エルジアとサンサルバシオンを除くユージア大陸全国家)

サンサルバシオン

エルジア共和国
指導者・指揮官
ロバート・シンクレア

2003年夏のエルジア共和国の中立国サンサルバシオン侵攻に始まり、ISAFの反攻により2005年9月19日にエルジア共和国が降伏勧告を受諾するまでの期間行われた戦争である。本項では便宜上、9月26日のメガリスの戦いと、続編である『ACE COMBAT 5 THE UNSUNG WAR』のアーケードモードで描かれる2006年自由エルジア蜂起と、『ACE COMBAT 7 SKIES UNKNOWN』のVRモードで描かれる2014年自由エルジア蜂起を扱う。

開戦までの経緯

小惑星ユリシーズ

ユージア大陸の西部に位置する軍事大国のエルジア共和国は、歴史的経緯や地政学的、経済的な問題等から、大陸東部の国々と「武装平和」と呼ばれる長年の緊張関係を続けていた[1]。特に東部諸国の一角である中央ユージア連合(FCU)とは対立を深めており、FCUの海外駐留軍とエルジア軍の間で睨み合いが繰り広げられていた。

1994年10月、シールズブリッジ大学のジョナサン・パイエク博士の観測[2]によって、岩石の塊で出来た直径約1マイル(約1.6km)の小惑星が発見された。この小惑星は当初「1994XF04」と呼ばれていたが、後に「ユリシーズ(Ulysses)」と名付けられた。同年12月、国際天文学連合(IAU)によって、小惑星が数年内に地球に接近し、地球に衝突して深刻な被害を引き起こす可能性があるとする情報が発表された。IAUは小惑星の軌道を詳しく追跡調査する必要があるとFCU政府に指摘し、IAU主導で近隣各国の天文学天文物理学地質学の学者により編成される特別チームを発足した。コモナ大学のコンピューターによる予測軌道計算では、ユリシーズはユージア東部時間1999年7月3日午後3時30分にロッシュ限界を突破し、ユージア大陸を中心として赤道から北半球の広範囲に分散した破片が降り注ぐとの予測が出た。さらにその衝突規模は核爆弾200万個分に相当し、予測上の誤差を差し引いても間違いなく核の冬が到来することが判明した。[3]

1996年4月20日の記者会見

FCU政府はこの件を国家保全の最重要事項と判断し、政治的、文化的配慮により軌道確定の公表を抑制していた。FCU政府は航空宇宙学会と連携し有効な衝突回避策を模索し、連携対策には同盟国を含めた国際協調が不可欠と判断した。1996年4月20日、FCUのロバート・シンクレア大統領はシウスのポートインランドにて記者会見を開き、確定情報を全世界に発表した。過去一年でユージア大陸に隕石は10個ほど落着しており、その多くは拳程度のサイズ、最も大きいもので1995年11月にノースポイント東部沿岸に落着したものが車サイズだったが、ユリシーズは約5000億トンもの質量であった。シンクレア大統領は報道陣に対して、「我々は行動を起こさずその日を迎える気はない」と述べ[4]、主要都市への地下シェルターの増設や、隕石迎撃を視野に入れる旨を表明した[3]。シンクレア大統領はG7諸国とは既に情報共有し、安全保障面の協力にさらに力を入れるとした。また、今後予想される経済やエネルギー、貿易といった問題を解決するために、G7諸国と緊密な連携をとる特別協定を締結したと報告した[4]

同日午後、中央ユージア条約機構(UTO)の本部で緊急外相理事会が持たれた。FCUのステートソン国務長官は同盟国に対し、隕石迎撃に関する本土ミサイル防衛(NMD)の採用について説明し同盟国の理解を求めた。NMD機構の採用については、一部の同盟国から軍拡につながるとして慎重論も出たが、最終的には構想受け入れへ柔軟な姿勢を示した。ステートソン国務長官はさらに、最悪の事態を考慮したうえでの本土最終防衛案を追加提言した。この時点では「各国の理解や協力なしには実現不可能な防衛案」として、記者団に対しては具体的な手段を明示しなかったが、後にこの提言はストーンヘンジ建造へ結実する[3]

FCUは国連との共同作戦から外れ、活動を国連のみへと移行し、軍事的な再編成を行い大陸全体の安定化を図った[4]。シンクレア大統領の発表を受けて、同日中に国防総省のリチャード・ペイン司令官はFCU指揮下にある海外駐留軍の全部隊に対し一時帰還命令を発令した。極東方面に展開している第6艦隊が母港のワオスンに向けて移動を開始し、同日19時には旗艦空母フォートグレイスと、イージス巡洋艦ティータイムを先頭にペイトン運河を北上した。ユージラス自治州と接するアンバー共和国南部ではFCU軍とエルジア軍の睨み合いが続いていたが、FCU軍の離脱によってIUN国際部隊は後退を余儀なくされた。第6空挺師団のマイヤー中佐によると、緩衝地帯に派遣された第120航空部隊は、21日のシュナイダー進駐のため準備していたが、寸前になって命令の変更を受け現地で一時解散し、120kmほど東のガンター前線基地まで後退し再編成を行うとした。中隊単位での後方移動は始まっているものの、IUN部隊への引き渡し作業は難航しており、 全部隊の撤収には22日午後におよぶ見込みとなった。また隊員への通知がなされた20日午前より天候は荒れており、C-17輸送機は通常の積載量から下方制限し、一部の備品を撤去処理するようIUN部隊に委託した[3]

FCU政府は誤報や(デマ)、による社会不安によって大規模な暴動テロに発展する可能性を懸念しており、通信省は情報の混乱を避けるため、情報発信をする全ての媒体に対し、国家緊急法の適用を発令した。情報発信の一元化や段階的な情報開示を目的としており、隕石対応策はテレビラジオ新聞雑誌等で公表することを予定した[3][5]。国家による個人・団体間の通信内容を記録や、プロトコル更新のためインターネット通信を約1ヶ月間停止、個人・企業のインターネット決済の制限により買い占めを抑制するといった指針を公表した。実質的な検閲ではないかという記者の質問に対し、シンクレア大統領は「世界がひとつになるこの瞬間に、ソーシャルネットワークに混乱が生じることを抑制し、安定した社会生活を送るための1ヶ月である」と述べ、冷静になるよう主張した[4]

FCU政府の要請を受けてIMFは、同日15時をもってユージア大陸の全株式の取引を停止し、証券・金融市場の一次固定を宣言した。IMFは新たなガイドラインにより、外貨貸出と各国間の為替取り決めを確かなものとした[4]

ストーンヘンジ建造

隕石迎撃を目的とした手段として、FCUを中核とするユージア大陸諸国はSTN計画を開始した。STN計画によってサンサルバシオンのハッティーズ砂漠に、8基の巨大対空砲からなるストーンヘンジが建造された。ストーンヘンジは各地の人工衛星や観測所と連携して隕石の落下軌道をたどり迎撃することを想定していた。[6]

別の隕石迎撃手段として対小惑星レーザーユニットも開発されたが、ユージア大陸紛争においてクーデター軍がユージア同盟軍に向けて使用しようとしたため、打ち上げ前にその全てがユージア同盟軍によって破壊された。[7]

当初はオーシアユークトバニアも参加の意思を示していたが、ベルカ戦争の戦災復興の最中であり、経済的・人的資源の拠出が耐えられないと判断し計画には参加しなかった。代わりに両国はストーンヘンジの機能停止の前後から、アークバードを転用して軌道上の清掃を行った。[8]

ユリシーズ落下と難民問題

1999年7月8日、ユリシーズはロッシュ限界を突破し、千以上の核と無数の塵に分裂した。ストーンヘンジを始めとした破砕手段が講じられたものの、多数の破片が大気中で燃え尽きることなく地表へ落着した。ユージア大陸では最初の2週間で約50万人が死亡し、大陸全体のGDPにして約18ヶ月分の経済的損失を被り、その後も数年間に渡って軌道上に残った破片の断続的な落下に悩まされることとなる。ユージア大陸全体で直径1マイル(約1.6km)を超えるクレーターは30個以上に上った[9]。隕石落下に伴う被災難民は大陸全体で数百万人に上り、難民問題の深刻化が後に大陸戦争を引き起こす一因となった。[10]

当時、各国から最大の難民受入国として期待されていたのはエルジアであった。2000年4月21日、エルジア外務省はビザの発給要件の引き締めを発表し、事実上の難民受け入れ拒否の態度を示した。同省よると、既に20万人がエルジアに入国しておりこれ以上の難民受け入れは不可能であると説明したが、国際世論は納得せず非難した。この発表後も、受入再開を期待した難民はエルジア国境に集まり続けた。エルジア政府は難民に対し他の国への移動を呼びかけ、国営の航空機バスなどを使った輸送を試みたが、一部のNGOは「人道空輸計画」と称する無計画な難民輸送を続けた。エルジア政府はこれに対し、無責任を通り越して殺人行為だと非難した。キャパシティを超えたエルジア国境の難民キャンプでは犯罪と疫病が蔓延し、難民キャンプを視察した国連のグッゲンハイム弁務官は「キャンプは不衛生極まりなく、過密化が進み危機的状況だ」と語った。この時点で国境に集まった難民の数は約60万人にも上り、大陸内外から寄せられた救援物資でようやく風雨を防ぎ糧を得る状況であった。グッゲンハイム弁務官は難民問題をひとつの国に押し付けるべきではなく、国際社会による救済が必要であると語り、ユージア大陸の他の国々に受入枠の拡大と避難計画の前倒しの実行を要請したが、まともに応える国は少なかった。エルジアには大小合わせて10個の隕石が落着しており、首都ファーバンティに落ちたもので数万人[10]、セラタプラの沿岸付近に落着したもので津波によって3万人もの死者が出ていた[11]。エルジアのフレデリック・アップダイク外務大臣は、100万人の難民受入は到底無理な話であると語った。エルジア国内の世論もまた、難民を押し付ける各国に対する不満が蔓延していた。[5][10]

ユリシーズによる被害はユージア大陸のみならず、他の大陸でも発生した。アネア大陸東部のエストバキア連邦では隕石迎撃システム「シャンデリア」の計画が頓挫したため甚大な被害を被り、この被害による経済破綻からエストバキア内戦に突入した。一方、オーシア大陸(オーシアやベルカなどがある大陸)やベルーサ大陸(ユークトバニアがある大陸)の被害は軽微であった。

戦争の経過

サンサルバシオン侵攻

エルジア政府は難民問題によって自国を取り巻く状況が悪化する中、難民を押し付ける東部諸国への武力侵攻という形で事態の解決を図ろうとした。しかしこれには問題があり、エルジアの軍事力はユージア大陸諸国の中では最大規模であったが、その規模はFCUなど大陸諸国間経済同盟の加盟国を合わせた東側諸国の軍事力とほぼ同等であり、全面戦争となれば相当な出血を強いられることになる。エルジアはストーンヘンジを接収することでこの問題の解決を試みた。エルジアの隣国の中立国サンサルバシオンに建造されたストーンヘンジを対空砲として運用した場合、長大な射程によって航空機を超長距離から一方的に撃墜することが可能であった。特に、ユリシーズの複数の破片を同時に処理すべく開発された有効範囲の広い特殊砲弾を使用した場合、約1200kmの射程圏内を高度2000フィート(約600m)以上で飛行する航空機を確実に撃墜することが可能という驚くべき性能であった。[6][12]

2003年夏[注 1]、エルジアはサンサルバシオンに侵攻を開始した。エルジア空軍の空爆を皮切りに3日間におよぶ地上戦を展開し、首都サンサルバシオンの占領に成功した。ストーンヘンジではUTO指揮下の12機の航空機と警備隊員が防衛に携わっていたが、エルジア軍により制圧された。エルジア軍はストーンヘンジの運営に携わるスタッフを捕らえ、ストーンヘンジを動かすための人材を確保した。スタッフに関して、エルジア当局は健康な状態で軍の保護下にあると発表した[10]。ストーンヘンジの管理は、エルジア空軍の下部組織にあたるミサイル防空局がミサイル防空軍に名称を変更した上で格上げされ担当することとなった[13]。また、エルジア陸軍もストーンヘンジの運用に関わったとされ、運用に携わったシューティングスター隊などの部隊章が残されている[13]

エルジアの占領下に置かれたサンサルバシオン市民の生活は次第に変化していった。学校で学ぶ言語は変えられ、地元警察は姿を消しエルジア軍の憲兵がこれに変わった。軍用を除くインターネットが遮断されたため、市民は鉱石ラジオを使うことになった。パラボラアンテナを掲げることで見られたノースポイントからの放送は、そのうち見ることができなくなった。ガソリンの配給が滞ったため、街から自動車が姿を消し荷馬車が復活した。また民間人のレジスタンスが抵抗運動を開始し、エルジアは秘密警察によって不穏分子の摘発に当たった。[12]

ISAF結成

エルジアの行為に対して大陸諸国の首脳は揃って非難声明を発した。穏健派で知られるUTO理事長もエルジアの行為に対しては怒りを露わにした。FCUのロバート・シンクレア大統領はエルジアに対し、サンサルバシオンとストーンヘンジから撤退しない場合はFCUとその同盟国は制裁攻撃を開始すると明言し、最終撤退期限を9月14日とした。各地のFCU軍はただちにサンサルバシオン付近まで移動を開始した。またFCUとその同盟国はユージア大陸の安定と集団的防衛並びに平和の維持を目的とする軍事同盟の発足を決定した。大陸諸国間経済同盟の加盟国11ヶ国を原加盟国とし、総計16ヶ国から構成される独立国家連合軍(ISAF)の設立を発表し[10]、8月下旬にISAFが結成された[5][14]。最終的にISAFにはエルジアとサンサルバシオンを除くユージア大陸の全国家が加盟した[1]

FCUとその同盟国の間では、エルジア軍を仮想敵とした軍事同盟の必要性が議論されてきたが、経済共同体以上の結びつきはエルジアを必要以上に刺激しかねないという意見が多く、理論的な研究は進められつつも共同演習などの具体策が打ち出されることはなかった。ISAFの発足は各国の軍隊を統合してFCU軍の指揮系統の下にまとめたいというFCUの思惑があった[10]

敗戦を重ねるISAF

ISAFはエルジアに対しFCU軍を主力とする部隊を展開し、最終撤退期限を待たず両者は交戦状態に突入した。エルジアはストーンヘンジによってISAFの航空戦力を撃破し、制空権を確保した。航空支援を受けられなくなったISAF地上軍はエルジア軍の前に敗北を重ね、9月14日には大陸中部のロスカナスまで後退を強いられた[5]

ISAFにとって最大の脅威は絶大な対空性能を誇るストーンヘンジであり、これがある限り射程圏内での制空権確保は事実上不可能であった。そのためストーンヘンジの破壊がISAFにとって重要な課題だったが、戦線がロスカナスまで後退した現状では、これ以上東の基地から航空部隊を送り込むことが航続距離の問題から不可能であったため、ロスカナスからのストーンヘンジへの航空攻撃は残された数少ないチャンスだった。ISAF空軍は最高のパイロットを選抜し、航続距離の問題から最低限の爆装を施した12機のF-15Eと、護衛機を務める12機のF-15C、および空中管制機からなる部隊を編成して第一次ストーンヘンジ攻撃作戦を決行した。攻撃部隊は順調に飛行し目標のストーンヘンジに接近したが、エルジア軍の5機の戦闘機部隊が迎撃に向かい交戦状態に突入した。このエルジア軍機は第156戦術戦闘航空団アクィラ隊で、翼端を黄色に塗装したSu-37戦闘機に搭乗していたため黄色中隊と呼ばれていた。わずか5機の黄色中隊によってISAF側はF-15の全機が撃墜され、ストーンヘンジ攻撃作戦は失敗した。この敗北から数日後にロスカナスは陥落し、ストーンヘンジへの空爆は不可能となった[15]。アクィラ隊の名声は大いに高まり、通称の黄色中隊という名は国内外に知れ渡った[14]

時期は不明であるが、工作員によるストーンヘンジ破壊作戦も実施された。工作員が撮影したストーンヘンジの画像データを送信する際に発生した電波の副次的放射(サイドローブ)が捕捉されたため、破壊工作は失敗した。[13]

ISAFは組織だった抵抗すらできず後退を続け、東海岸まで追い詰められた。ISAF司令部は大陸からの撤退を決定し、大陸北東の島国ノースポイントへの大規模な撤退作戦を開始して海峡を渡った[10]。2004年9月16日、ISAFは総司令部をノースポイントに設置した[5]。しかしこの総司令部はレーダー警戒網に守られていたものの、防空能力が脆弱な「張り子の基地」であった。撤退が完了した東部とは対照的に、大陸北部では撤退未了のISAFに対して、「北の目」と呼ばれるシェズナ山のレーダー施設から支援を受けたエルジア軍によって航空攻撃が行われ、大陸北東の港湾都市セントアークを基点としたノースポイントへの撤退を妨害していた。エルジア軍はノースポイントを爆撃するため、大陸北東のリグリー飛行場にTu-95爆撃機を多数配備した。またエルジア軍は無敵艦隊とも渾名されるエイギル艦隊を大陸東部のコンベース港へと向かわせ、緊急展開軍の空輸および物資や燃料の補給を行った上でノースポイントの占領を行う準備を進めていた。この時点でISAFの支配領域はノースポイント、セントアーク、ロッキー諸島、フォートグレイス島、コモナ諸島に限られた。[12]

ISAF総司令部はノースポイントで残存兵力の再編成を開始し、まず空軍を組織した。しかし各戦線を生き残ったパイロットを単純に人数分けしただけでしかなく、同じ中隊に複数機種の航空機が混在するなど、寄せ集めの様相を呈していた。大陸ではノースポイント陥落は時間の問題と囁かれていた。[10]

9月19日、エルジア軍の工作員がノースポイントに設置されていた早期警戒レーダーの一部を破壊した。これに連携してリグリー飛行場からTu-95からなる爆撃機編隊が護衛機を伴って発進し、ニューフィールド島上空を経由しつつノースポイントへ向かう進路を取った。爆撃機編隊はニューフィールド島の市街地とアレンフォート飛行場を爆撃した後、ノースポイントへ爆撃を行う予定であった。ISAFは迎撃のためアンブレラ作戦を開始し、ニューフィールド島の南東に展開していた空母から戦闘機部隊を出撃させた。爆撃機編隊は全機撃墜され、ノースポイントへの爆撃は阻止された。この戦闘には本戦争で伝説的なエースパイロットとなるメビウス1が参加しており、爆撃機撃墜に戦功を上げた。

爆撃機を喪失したエルジア軍はリグリー飛行場にTu-95を増派し、ノースポイントへ再度の空爆を試みる動きを見せた。10月5日、ISAFは当面の脅威のひとつであるリグリー飛行場への航空攻撃を目的としたハーヴェスト作戦を開始した。ノースポイントから出撃した戦闘機部隊に対し、リグリー飛行場から戦闘機部隊がスクランブルしたが、ISAF機は駐機中の爆撃機を全機破壊することに成功し、ノースポイントに対する本格的な空爆は阻止された。

10月10日、ISAFはセントアークからの撤退を円滑化するため、シェズナ山の山頂にある「北の目」と呼ばれる2つのレーダー施設を破壊することを目的としたホワイトアウト作戦を開始した。ノースポイントから出撃した戦闘機部隊によってレーダー施設は全て破壊され、撤退の円滑化は成功した。ISAFは11月初頭までに大陸北部からの撤退を完了し、セントアークはエルジア勢力圏となった。[12]

無敵艦隊の壊滅

爆撃機部隊によるノースポイント攻撃が失敗したため、エルジアは上陸部隊によるノースポイント占領を図り大陸東部の港湾都市であるコンベース港に「無敵艦隊」の異名を持つ主力艦隊「エイギル艦隊」を集結させ、併せて作戦に必要な緊急展開軍や大量の物資をコンベース港へ空輸し部隊編成を進めていた。輸送機を北からコンベース港に向かわせるルートは「空中回廊」という通称で呼ばれていた。ISAFは空中回廊を使ったコンベース港への空輸を妨害し、大陸の空を支配したと思っているエルジアに対し精神的打撃を与えることを目的としたハンティングホーク作戦を開始した[16]。11月7日、ペイトン半島の南に展開した空母から発艦した戦闘機部隊は、コンベース港北西の空中回廊を飛行中のC-17からなる輸送機編隊を攻撃した。輸送機編隊は電子戦機として随伴するE-767の電子妨害と護衛戦闘機隊に守られていたが、ISAF機は目視で対応し輸送機は全機撃墜された。

11月19日、ISAFはコンベース港北東部に位置し、コンベース港への燃料供給を一手に担う石油化学コンビナートに対する攻撃を目的としたアーリーバード作戦を開始した。作戦の目的は石油化学コンビナートを構成する沿岸部の石油精製施設および備蓄施設と、洋上の油田採掘施設を攻撃しその生産能力を20%以下にまで低減することにあり、コンベース港とエイギル艦隊の無力化を意図していた。作戦は成功しエルジアは一日あたり25万バレルの原油採掘能力と500万バレルの備蓄を喪失し、ノースポイント侵攻を延期したが、迎撃に上がった黄色中隊によってISAFも複数機が撃墜され損害を被った。

11月23日、ISAFはコンベース港とエイギル艦隊への奇襲を目的としたラフシーズ作戦を開始した。ISAFにとってノースポイントに司令部を移して以来初の大規模な航空作戦であった。ペイトン半島の南に展開した空母から発艦したISAF機は、コンベース港とニューコンベース港、造船施設、およびエイギル艦隊に攻撃を加えた。この攻撃でエイギル艦隊の旗艦である戦艦タナガーを始めとする多数の艦艇を撃沈したことで艦隊を壊滅へと追いやり、また港湾施設にも打撃を与えることに成功した。エルジア軍はこれを受けノースポイントの攻略作戦を無期限延期とした。戦局は依然としてISAFが不利な状況にあったものの、久しぶりの大きな勝利にISAF側の将兵の士気は大いに高まった。[12]

壊滅したエイギル艦隊の旗艦であった戦艦タナガーのマティアス・トーレス艦長は乗艦を撃沈されたものの、的確な退艦指示とダメージコントロールによって多数の将兵を生還させた。トーレス艦長は艦隊壊滅の汚名ではなく、将兵を救った「コンベースの英雄」として扱われ、勲章を授与された。[17]

反攻準備

ノースポイントへの危機が当面の間去ったISAFは大陸の奪還を目的とした活動を開始した。12月16日、ISAFは大陸深部のフェイスパークに存在する太陽光発電所群への航空攻撃を目的としたブラックアウト作戦を開始した。フェイスパークは赤道に近く、日照時間が長いため安定した太陽光発電が行える事が注目されており、何機ものソーラーパネルが建設されていた。またユリシーズ落着によって生じたマッケンジークレーターにはタワー集光方式を採用した太陽熱発電パイロットプラントが建造されていた[18]。これらの発電能力を総合すると原子力発電所に匹敵し、エルジアの軍需工業地帯に対して約60%に相当するエネルギーを供給していると見られていた。原料を必要としないため、輸送路を遮断されても発電可能であることも危険視された。この作戦は大陸への上陸作戦からエルジアの目を逸らすための陽動という側面も持っていた。ノースポイントから出撃した戦闘機部隊は空中給油を受けつつフェイスパークに向かい、航空攻撃によってこれら太陽発電所群に大打撃を与えた。しかしストーンヘンジの射程圏であったことから砲撃が行われた。作戦参加機は高度を落とし峡谷の間に逃れて撤退したが、多くの機体が砲撃の犠牲となり手痛い出血を強いられた。[12]

ISAFは大陸での作戦を支援するための偵察衛星をコモナ諸島のロケット発射基地より打ち上げる準備に入った。12月31日、この情報を察知したエルジア軍は大規模な戦闘機部隊を送り込んだため、ISAFは制空権を維持するためカウントダウン作戦を開始し戦闘機からなる大部隊を送った。これにより両軍の作戦参加機を合わせると200機以上に上る史上最大の大規模空戦となった[1]。この空戦のなかでISAF空軍のメビウス1は黄色中隊の一機に攻撃を命中させ、黄色中隊を撤退させた[1]。空中戦はISAFの勝利となり、コモナベースを爆撃しようとしたB-2爆撃機編隊もすべて撃墜された。ISAFはロケット発射基地の防衛と、偵察衛星の打ち上げに成功した。[12]

大陸解放の開始

2005年1月24日、軍の再編成が終了し反攻作戦の準備を完了したISAFは、大陸南東部のヘイルビーチ、クラウンビーチ、カランダビーチへの上陸を目的としたバンカーショット作戦を開始した。上陸地点は内陸へ向かう道が狭くエルジア軍に有利な地形であったが、ストーンヘンジの射程外であったため上陸地点として選定された。ノースポイントから出航した第32海兵コマンド連隊の揚陸部隊は空母から発艦した戦闘機部隊の航空支援のもと、3つのビーチに上陸を開始した[16]。エルジア軍はトーチカ戦車攻撃ヘリ砲兵攻撃機などによって揚陸部隊を阻んだが、ISAF機の航空支援と地上軍の攻撃によって各ビーチの防衛線は突破された。ISAFはビーチ周辺に橋頭堡を築くに至った。

ISAFはロスカナス解放を目指して北上したが、大陸東部には南北に伸びるワイアポロ山脈に沿って沿岸部まで伸びるエルジア軍防衛線のタンゴ線が控えていた。大陸南東部のタンゴ線の一角を成すイスタス要塞は台地状の山が並び、堅固な防備を誇っていた。2月28日、ISAFはイスタス要塞に対しての航空攻撃を目的としたウッドペッカー作戦を開始した。空母から発艦した航空部隊はストーンヘンジの砲撃に晒されていくつかの機が撃墜されたものの、イスタス要塞を構成するサイオン飛行場、VTOL基地、補給基地、潜水艦基地に大きな損害を与えることに成功した。イスタス要塞への打撃によって後続の上陸部隊は大陸南部側のタンゴ線を突破し、その勢いのまま北上しロスカナスを解放した。また上陸地点周辺の勢力圏を広めることに成功し、シールズブリッジはISAF勢力圏となった。ISAFはロスカナスに前線指揮所を置き、大陸深部への侵攻とストーンヘンジ攻撃の拠点とした。[12]

ストーンヘンジ破壊

3月14日、長らくエルジア当局の監視下にあったストーンヘンジ開発に携わった技術者とその家族が、ストーンヘンジに関する情報提供を見返りにISAF加盟国への亡命を望み、民間旅客機のエアイクシオン701便・702便[注 2] でサンサルバシオンから脱出した。離陸時のトラブルで701便の機長は負傷し、副操縦士が操縦することになった。また何らかの理由で客室の気圧が保てず、702便が高度23000フィートで飛行していたのに対して、701便は6000フィートでの飛行を余儀なくされた。ISAFは両旅客機の救出と護衛を目的としたノアズアーク作戦を開始し、メビウス1を単機で護衛に向かわせた。両旅客機はチョピンブルグ北部にてエルジア空軍の戦闘機部隊に捕捉されたが、救助に向かったメビウス1によってエルジア軍機の追撃は妨害され、両旅客機は無事にISAF勢力圏まで避退することに成功した。技術者たちは軍医によって健康であることが確認され、亡命受け入れについてはISAF加盟国のいくつかが前向きな姿勢を示した。また技術者たちによってストーンヘンジに電子妨害装置が設置されていることが判明した。

エルジア軍が管理するストーンヘンジには組織上のトラブルを抱えていた。ストーンヘンジの運用と近接防空はミサイル防空軍が担当していたが、その周辺地域は空軍が防衛を担当していた。しかしミサイル防空軍の前身であるミサイル防空局は空軍の下部組織であり、空軍の中でも左遷された将校が行く部局であったため、ミサイル防空軍への昇格によって将兵たちの空軍への恨みと縦割り行政によって双方の機能は硬直化した。また、ストーンヘンジの砲撃によって空軍機を巻き込み墜落に至らせた事件が決定打となり、空軍はストーンヘンジ防衛のために駐留していた空軍機を大幅に削減した。施設防衛には黄色中隊のような少数の精鋭部隊に担当させたが、入れ替わりも激しくその防衛力は完全ではなかった。[13]

ISAFは大陸南東においてわずかに前進し、スコフィールド高原やザップランドを勢力圏に収めることに成功した。しかしストーンヘンジを破壊しなければ本格的な戦線の押し上げは不可能であった。ISAFはストーンヘンジが、軌道が単純な隕石を迎撃するために開発されたものであるため、高速かつ軌道の予測が困難な少数の戦闘機なら接近が可能であると結論付けた。4月2日、ISAFはストーンヘンジの破壊を目的としたストーンクラッシャー作戦を開始した。本作戦でISAF司令部は出撃機の40%を喪失すると覚悟していた。ISAF機はロスカナスから出撃し、空中給油を受けつつストーンヘンジに接近した。ストーンヘンジは砲弾を発射して対空迎撃したものの、ISAF機は高度を下げて対抗した。ストーンヘンジの中央に設置された電子妨害装置がミサイル攻撃を阻害したが、メビウス1によって破壊された。またストーンヘンジの各砲台もユリシーズの落着で稼働停止していた第4号砲を除きすべてが破壊された。

黄色中隊が根拠地とするサンサルバシオンの野戦滑走路レジスタンスの破壊工作によって一部が爆破され、黄色中隊の出撃が遅れた[14]。黄色中隊が到着した時点でストーンヘンジは完全に破壊されていたものの、黄色中隊はISAF機と交戦した。戦闘の結果、メビウス1によって同隊の2番機が撃墜され、パイロットの「黄色の4」が戦死した。「黄色の4」が搭乗していた機体はレジスタンスが滑走路を爆破した際にエンジンを損傷しており、「黄色の4」自身も軽傷を負っていた。この戦闘からメビウス1はエルジア軍の間で搭乗機体にマーキングされていた「メビウスの輪」がリボンのように見えたことから、「リボン付き」といった異名と共に恐怖の対象となった。一方でISAFサイドのメディアは「一機の戦闘機がストーンヘンジを破壊した」とメビウス1の功績を報じた。東部のISAFは5月初頭までにペイトン半島を勢力圏に収め、ロスカナスから南西の地域でも戦線を前進させた。[12]

サンサルバシオン解放

エルジア勢力圏での偵察飛行を終えたISAFのU-2偵察機が、エルジア軍の最終兵器「メガリス」に関する情報を入手した。偵察機は帰路の途上でエンジンを損傷し、出力不足のため山脈を避けてノーム幽谷を通過するルートを通ることにしたが、ノーム幽谷にはエルジア軍によって大量の飛行船型係留式ノイズジャマーが敷設されており、航法が阻害され墜落する危険性があった。5月7日、係留式ノイズジャマー破壊のためブラインドマンズブラフ作戦が開始され、メビウス1が作戦に当たった。偵察機が安全に飛行できるだけの係留式ノイズジャマーが破壊され、偵察機は無事に離脱することに成功した。また偵察機を追撃していたエルジア軍機がメビウス1と交戦し全機撃墜された。情報部はメガリスの構造を分析した結果、メガリスが実戦投入される前に戦争を終わらせることだけが最善であると結論付けた。[12]

ISAFは大陸北部のセントアーク、スナイダーズトップ、アイスクリーク南方の3つに上陸作戦を開始した。6月18日、エルジア軍はこれらISAF地上軍に対しアイスクリーク北方からXB-70による巡航ミサイル攻撃を実施した。ISAFはオーロラ作戦を開始しセントアークからメビウス1を出撃させ、アイスクリークの氷原上空で迎撃に当たらせた。巡航ミサイルはメビウス1によってすべて撃墜された。上陸部隊は北部沿岸の確保に成功し、7月初旬までにアイスクリーク一帯からホワイトバレー周辺を勢力圏に収め、またスナイダーズトップの占領に成功した。セントアークからも部隊が南下し、勢力圏を広めつつあった。大陸南部のISAFも快進撃を続け、ストーンヘンジがあるハッティーズ砂漠付近まで西進し、大陸東部を北上する部隊もフェイスパークにほど近い地域まで前進した。[12]

7月10日、ISAFはサンサルバシオンの首都解放を目指したファイアフライ作戦を開始した。作戦は現地のレジスタンスと共同して実行され、深夜の午前0時にエルジアの灯火管制が解除される手筈となった。レジスタンスによって灯火管制が解除されると同時に、両軍との間で戦闘が開始した。エルジア軍は旧市街地の国道7号線付近に戦車大隊、新市街地の行政官庁街に攻撃ヘリを展開しており、ISAF地上軍との間で戦闘が展開された。市街地北部のサンプロフェッタ空港からは航空部隊が出撃した。黄色中隊も作戦に参加したが、熟練パイロットの多くが別部隊に異動させられ、その代わりに飛行時間の少ない新人パイロットが補充されていたことに加え、質が落ちた燃料での飛行を強いられており、全盛期ほどの戦力とはならなかった。ISAF航空部隊の航空支援によって地上ではISAFとレジスタンスが優勢となり、エルジア軍は劣勢に陥った。エルジア軍はTu-160爆撃機編隊による焦土作戦を試みたが、メビウス1によって爆弾を投下する前に全機撃墜された。エルジア軍はサンサルバシオンから撤退し、深夜にも関わらず街は市民たちの歓声に包まれた。首都は解放され、約2年におよぶ占領は幕を閉じた。[12]

8月中旬までにサンサルバシオンを解放した部隊は首都周辺の支配領域を広げつつ再びランバート山脈の南側へ戻り、山脈に沿って西進しエルジア国境を超えた。アイスクリーク南方から上陸した部隊は大陸北方の支配領域を広げた。セントアークから上陸した部隊は、大陸東方を北上していた大陸南部の上陸部隊と合流し、ポートエドワーズやフェイスパークといった地域を奪還した。リグリー飛行場も奪還され、前線基地としての機能を取り戻すため各地から様々な航空機の派遣が始まった[19]。大陸北東部のタンゴ線も突破に成功し、大陸東部と南部はISAFの勢力圏となり、残されたエルジア支配領域はエルジア領中部以西と大陸中北部のみとなった。エルジア軍はランバート山脈とアンバー山脈に挟まれたウィスキー回廊と呼ばれる砂漠に最終防衛線を築き、首都ファーバンティ防衛の要とした。[12]

エルジア領への進撃

ウィスキー回廊の西部を最終防衛線と定めたエルジア軍は、戦車部隊を中核とする戦力を配備した。8月15日、ISAFは陸上戦力の面で不利であったものの、航空支援を頼りに攻撃を決定しサンドストーム作戦を開始した。防衛線は主に3つに分かれており、西部防衛線、中央防衛線、東部の旧アンカーポイント市が戦場となった。エルジア軍は多数の戦車や長距離砲をISAFの航空攻撃によって失い、防衛線を放棄し撤退した。9月中旬までにISAFはファーバンティ近郊まで進撃した。また大陸中北部もISAFの勢力圏とした。

9月19日、ISAFはエルジア首都ファーバンティの制圧を目的としたオータムサンダー作戦を開始した。目標は埋め立て地区にあるエルジア軍司令部であった。ISAF地上軍は東からシルバーブリッジ方面に向けて進撃し、また南部では揚陸部隊が市街地水没地区から埋め立て地区に向けて揚陸を開始した。エルジア軍は湾内に戦艦を座礁させて頑強な固定砲台として運用した。また北部からエルジア軍の戦車部隊が増援としてやってきており、埋め立て地区の部隊と合流を試みたものの、両地域を結ぶジョンソン記念橋がメビウス1によって破壊されたため合流に失敗した。いずれの地域もISAFは航空支援によって地上軍が各所の突破に成功し、埋め立て地区の制圧は時間の問題となった。エルジア軍司令部から軍の幹部V-22輸送機で脱出を図ったものの、ISAF機によって撃墜された。黄色中隊が北からファーバンティ上空に飛来しメビウス1と交戦したものの、全機が撃墜され隊長の「黄色の13」が戦死した。制空権は完全にISAFのものとなり、またエルジア軍司令部はISAF地上軍によって制圧された。各地でエルジア軍将兵に対して降伏勧告が為された。戦闘終結直後、エルジア軍最高司令官の遺体が発見された。彼はヘリで脱出する直前にシェルターにいる妻と娘を迎えに行っており、脱出が遅れていた。同日、エルジア政府はISAFの降伏勧告を受諾した[注 3][12]

メガリスを巡る戦い

エルジア政府の降伏によって大陸戦争は終結した。しかしISAFへの降伏を拒否したエルジア軍の若手将校の一部が、開発中ながら攻撃力を備えていたトゥインクル諸島にあるメガリスを占拠した。メガリスはロケット発射施設であり、軌道上にあるユリシーズの破片に向けてロケットを発射し、その破片を意図的に地上の目標に向けて落着させる恐るべき軍事施設である。若手将校の手によってメガリスは稼働を開始し、ユリシーズの破片による落下攻撃が開始されたため、これ以上の攻撃を阻止すべく9月26日にISAFはジャッジメントデイ作戦を開始した。

メガリスは対空兵器の類は一切設置していないものの、外側からの攻撃では破壊が困難なほどの堅牢性を有する一大要塞であった[20]。ISAFは航空部隊と施設への突入部隊を連携させ、メガリスの破壊を試みた。作戦の手筈としては、ミサイル搬入路の溝の奥にある3つのジェネレーターを搬入路に侵入した空軍機によって破壊させ、施設の停電を狙って突入部隊がサブコントロールルームを制圧し、中央の排熱口と脱出口を解放させる。空軍機は排熱口からメガリス内部に突入し、ミサイル群を破壊してミサイル発射口から脱出するという流れであった。

ISAF空軍は大陸戦争で伝説的活躍を残したメビウス1を中心に中隊を再編成し、これまで複数のコールサインが混在していたのを「メビウス」、エンブレムも「メビウスの輪」で統一し、メビウス中隊を編成して作戦参加機とした。ファーバンティから出撃したメビウス中隊[注 4] は、黄色中隊に因んで同様の塗装を施したSu-37戦闘機に搭乗したエルジア軍若手パイロットの部隊と交戦した。メガリス内部ではISAF突入部隊がエルジアのメガリス占拠部隊と白兵戦を展開した。空戦後、メビウス1が3基のジェネレーターを破壊したことで、サブコントロールルームを閉じていた電子ロックが解除された。突入部隊が直ちに突入し、室内を制圧した。メビウス1は開いた排熱口から中央サイロ内に突入して内部の大型ミサイルを破壊し、同時に突入部隊がミサイル発射口を開きメビウス1は脱出に成功した。こうしてメガリスを巡る戦いはISAFの勝利に終わり、ユリシーズの破片を利用した落下攻撃は阻止された。[12]

戦後処理

エルジア政府の降伏とメガリスの破壊によって大陸戦争は完全に終結した。エルジアでは暫定自治政府が発足し戦後復興へと歩み出した。

ISAF加盟国とエルジアとの間で講和条約が締結された。軍事裁判によりエルジアは周辺国に対し国土の40%を割譲しIUNによる信託統治が実施された[21]。2006年、IUNの管理下にあったセラタプラが独立した[11]。エルジアはガンター一帯の影響力を喪失した。エルジアの軍備はユリシーズの難民受け入れとそれに伴う支援活動を実施するため、防衛に限定した軍事力の保持が認められた[21]

本戦争では天災による被害も含めて約2000万人の死傷者が発生した[19]

2006年自由エルジア蜂起

2006年自由エルジア蜂起
戦争:2006年自由エルジア蜂起
年月日:2006年9月下旬 - 不明
場所ユージア大陸各地
結果:自由エルジアの壊滅
交戦勢力
ISAF 自由エルジア

戦争終結後も大陸各地では依然としてISAFへの降伏を受け入れない旧エルジア軍の残党勢力が抵抗を続け、ISAFと衝突を繰り返した。ISAFは残党勢力と砲火を交えるも、もともと旧エルジア軍が強大な軍備を有していたため、決定打を与えられずにいた。

2006年9月下旬[注 5]、残党勢力のうち旧エルジア空軍将校を中心とする一派が自らを「自由エルジア」と称し、大陸各地の残党勢力に徹底抗戦を呼び掛ける事態が発生した。その結果、これまで個別に抵抗を続けていた残党勢力は続々と自由エルジアへと合流し、膨れ上がった戦力を持って自由エルジアは国連管理下にあった軍事工廠を襲撃し、多数の兵器を強奪した。これを重大視したISAFは自由エルジアの討伐を目的にカティーナ作戦の実施を決定した。終戦後に退役したISAF空軍最強のエースパイロットであるメビウス1をカティーナ作戦の要として呼び戻し、空中管制機と共に、調査により判明した自由エルジアの根拠地であるホワイトバレー湾の軍港島へ向けて出撃させた。

メビウス1と自由エルジアは各地で戦闘を繰り広げ、自由エルジアは陸海空のあらゆる戦力を展開してメビウス1に攻撃を仕掛けたものの、メビウス1を撃墜することは叶わなかった。メビウス1は軍港島で空母を含めた自由エルジアの部隊に大打撃を与えた。自由エルジアはX-02で編成された部隊を投入してメビウス1の迎撃に当たらせたが全機が撃墜された。自由エルジアの中心メンバーはISAFによって身柄を拘束され、自由エルジアは壊滅した。また、前々から謎に包まれていたエルジアの無人戦闘機の開発データもISAFによって回収された。[24]

具体的な交戦期間は不明であるが、2006年内に紛争は終結した[5]

その後の情勢

自由エルジアの壊滅によって、終戦後続いた旧エルジア軍残党勢力とISAFとの戦闘は沈静化し、これによってエルジアは暫定自治政府の元で復興への道を歩き出した。軍事同盟であったISAFもこうした状況に合わせる形で解散し、平和維持機能をIUNが引き継いだ。しかし旧エルジア軍残党勢力が完全に武装解除した訳ではなく、大陸戦争の要因となった難民問題についても解決したわけではなかった。[11]

こうした状況への対処のため、2008年に国際社会はサミットを開幕することを決定した。議長国であるオーシア連邦のハーリング大統領によりアークバードが会議場となり、宇宙空間でサミットが開催される運びとなった。オーシアやユークトバニアら5ヶ国、そしてISAFの中心国であったFCUに加えエルジア暫定自治政府の代表が出席し、G7サミットとなった。サミットでは各国代表が旧来の冷戦から協調へと姿勢を転じたオーシアとユークトバニアの方針を支持し、ユージア大陸の難民問題についても大陸のみならず周辺地域をも対象として責任を共有する新たなパートナーシップの構築に同意した。その他、軍縮や核不拡散においても様々な決定がなされた。これらの決定はアークバード宣言と呼ばれた。[8]

2010年9月、環太平洋戦争が勃発し、オーシアとユークトバニアが戦争状態に入った。ユージア大陸も間接的に影響を受け、後述する自由エルジアが再び蜂起する一因となる。

2011年、オーシアのハーリング政権はユージア大陸の復興のため、国際軌道エレベーター公社(ISEV)を設立した。国際軌道エレベーターの建設地は旧エルジア領だったセラタプラで行われることとなった。エルジアでは市民の反対運動が激化したが暫定自治政府には拒否する権利がなかった[11]。エルジアは暫定自治から脱却し、王政復古によりエルジア王国と国号を改めた。これを受けてIUNは停戦協定の履行を監視するため国際停戦監視軍をユージア各地に派遣したが、その戦力の大半はオーシア軍によって構成されていた。国際停戦監視軍は軍事演習を繰り返しており、軌道エレベーターの存在も併せて、エルジアとその周辺国ではオーシアに対する不満が蓄積していき、オーシアによる支配からの脱却を唱える運動が活発になっていった。エルジア軍内の急進派(推進派)と呼ばれる派閥はオーシアへの攻撃を主張し、そして2019年5月、エルジア側によるオーシアへの宣戦布告が行われ、第二次大陸戦争(灯台戦争)が勃発することとなる[25]

2014年自由エルジア蜂起

2014年自由エルジア蜂起
戦争:2014年自由エルジア蜂起
年月日:2014年頃
場所ユージア大陸各地
結果:不明
交戦勢力
IUN国際停戦監視軍 自由エルジア

環太平洋戦争により世界の軍事バランスが変化したことで武器と資金が流れ、これまで小さなテロ活動しかできなかった組織が2014年には小中規模の軍事行動を起こすようになっていた。カティーナ作戦で壊滅した自由エルジアもその組織のひとつで、大陸各地で活動を再開していた。大陸の治安維持に関してISAFの後を継いだIUN国際停戦監視軍は、自由エルジアと交戦することになる。また軍を離れていたメビウス1はIUN国際停戦監視軍の司令官から復隊を要望され、第118特殊任務部隊に入隊した。

2014年5月28日、ペイトン半島のレーダーサイトがフォートグレイス島に接近する識別不明機を発見した。IUN国際停戦監視軍の通告を無視してフォートグレイス島へ向かう進路を取ったため、フォートグレイス基地や空母アルバトロスから第118特殊任務部隊がスクランブルした。第118特殊任務部隊には識別不明機の目視確認と、無線での着陸通告をするよう指示があったが、攻撃を受けた場合は反撃に転ずる許可が与えられていた。識別不明機とアプローチした第118特殊任務部隊は無線通告をしたものの、識別不明機はレーダー照射とミサイル攻撃を開始し、これを受けて第118特殊任務部隊は反撃に転じた。識別不明機は戦闘機や爆撃機で構成されていたが、いずれも撃墜された。また識別不明機は自由エルジアの機であることが判明した。

6月16日、スコフィールド高原の航空基地にIUN国際停戦監視軍の第1816爆撃部隊(グレイモス隊)が着陸する予定であったが、自由エルジア機もこの航空基地に向かっていた。これに対処すべくIUN国際停戦監視軍はゲーターパニック作戦を開始した。自由エルジア機はグレイモス隊と航空基地を攻撃し、墜落した爆撃機によって滑走路が塞がれたが、その寸前に第118特殊任務部隊の戦闘機部隊が離陸に成功し、自由エルジア機を撃墜した。遅れて空中管制機も離陸した。空中管制機の離陸によって自由エルジアの地上部隊が変電所に向かっていることが判明し、ただちに航空攻撃が開始され地上部隊は撃破された。しかし別の地上部隊が航空基地へ攻撃しており、戦闘機部隊の増援も到着したが、いずれも第118特殊任務部隊によって完全に撃破された。この戦いで見られた陸と空の高度な連携と大規模な物量は、過去の自由エルジアには見られないものであった。

7月11日、自由エルジアが大量破壊兵器を輸送しているという情報を掴んだIUN国際停戦監視軍は、鹵獲を目的としたセントリーズブラント作戦を開始した。ワイアポロ山脈で大量破壊兵器を輸送中と見られるC-130輸送機に向けて第118特殊任務部隊を向かわせ、無線交信で強制着陸を試みる予定であった。第118特殊任務部隊は輸送機に接触したが、コックピットに人影はなく無人で運用されていた。直後、雲の下にいた自由エルジア機がミサイル攻撃を開始し、両者は交戦状態に突入した。増援としてやってきた自由エルジア機にはこれまでIUN国際停戦監視軍に大きな損害を与えていたSu-57で構成されるゴースト隊の姿があったが、メビウス1により全機撃墜された。自由エルジアの大量破壊兵器輸送計画は結果的に欺瞞であった。[26]

以後も自由エルジアとの戦闘が継続していることが明らかになっているが、具体的にどのような戦闘が繰り広げられたのかは分かっていない。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『ACES at WAR A HISTORY 2019』では開戦時期を「7月」とする表記も見られるが[1]、同時に単に「夏」とする表記も見られる[5]
  2. ^ 機種はどちらともボーイング767-200
  3. ^ 『エースコンバット04』の作中描写によれば9月19日12時00分に降伏したとされるが、同作品中でオータムサンダー作戦は9月19日18時20分に開始しており、矛盾している。
  4. ^ ブリーフィングではファーバンティから出撃し南のメガリスに向けて移動しているが、実際のミッションでは南から北のメガリスに接近する。
  5. ^ 自由エルジアが蜂起した時期に関しては資料により差異と矛盾があり、エースコンバット5公式サイト(後に動画アーカイブ化)に書かれた「ISAF Bulletin」によれば9月24日時点でメビウス1が任務遂行中であるとしており[22]、『ACES at WAR A HISTORY』によれば9月20~29日の間とし[23]『ACES at WAR A HISTORY 2019』によれば9月26日に自由エルジアが蜂起したとしている[5]

出典

  1. ^ a b c d e 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、22-23頁。
  2. ^ 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、73頁。
  3. ^ a b c d e “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 6-8. 2020年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e ナゲッツの「エースコンバット」世界史解説-大陸戦争篇 (AC04) (Youtube). バンダイナムコエンターテインメント. (2022年8月4日). 該当時間: 1:38. https://www.youtube.com/watch?v=pnTFCyMaPNU 2023年2月19日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、142頁。
  6. ^ a b “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 22. 2020年7月30日閲覧。
  7. ^ 『エースコンバット3D』、作中描写
  8. ^ a b ACES WEB:ACE COMBAT™ 5 THE UNSUNG WAR (Youtube). バンダイナムコエンターテインメント. (2020年12月25日). 該当時間: 6:34. https://www.youtube.com/watch?v=UrEewVt-y9c&t 2021年2月5日閲覧。 
  9. ^ 『ACES at WAR A HISTORY』、34頁。
  10. ^ a b c d e f g h “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 26-28. 2020年7月30日閲覧。
  11. ^ a b c d “August 21, 2018 特集「ユージア復興:軌道エレベータ完成間近」”. バンダイナムコエンターテインメント. 2020年3月1日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『エースコンバット04』、作中描写
  13. ^ a b c d 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、27頁。
  14. ^ a b c “Su-33 フランカ-D `エースコンバット 黄色の13` (プラモデル)”. ホビーサーチ. ハセガワ. 2020年8月25日閲覧。
  15. ^ “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 4-5. 2020年7月30日閲覧。
  16. ^ a b 『エースコンバット04 シャッタードスカイ オフィシャルガイドブック』エンターブレイン、16頁。 
  17. ^ 『エースコンバット7』、SP MISSION 2、ブリーフィング。
  18. ^ “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 30. 2020年7月30日閲覧。
  19. ^ a b “AC04Web PDFアーカイブ” (PDF). バンダイナムコエンターテインメント. p. 32-36. 2021年8月5日閲覧。
  20. ^ 『エースコンバット04 シャッタードスカイ パーフェクトガイド』ソフトバンクパブリッシング、126頁。 
  21. ^ a b 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、76頁
  22. ^ ACES WEB:ACE COMBAT™ 5 THE UNSUNG WAR (Youtube). バンダイナムコエンターテインメント. (2020年12月25日). 該当時間: 9:43. https://www.youtube.com/watch?v=UrEewVt-y9c&t 2021年2月5日閲覧。 
  23. ^ 『ACES at WAR A HISTORY』、136頁。
  24. ^ 『エースコンバット5』、アーケードモード
  25. ^ 『ACES at WAR A HISTORY 2019』、76-77頁。
  26. ^ 『エースコンバット7』、VRモード

参考資料

  • PS2ソフト『エースコンバット04 shattered skies』 ナムコ、2001年
  • PS2ソフト『エースコンバット5 THE UNSUNG WAR』 ナムコ、2004年
  • 3DSソフト『エースコンバット3D CROSS RUMBLE』 バンダイナムコゲームス、2012年
  • PS4/XOne/Steamソフト『エースコンバット7 SKIES UNKNOWN』 バンダイナムコエンターテインメント、2019年
  • エースコンバット アサルト・ホライゾン 限定版付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY』、バンダイナムコゲームス、2011年
  • エースコンバット7 コレクターズエディション付属ブックレット『ACES at WAR A HISTORY 2019』 バンダイナムコエンターテインメント、2019年
  • AC04Web PDFアーカイブ バンダイナムコエンターテインメント
  • エースコンバット5公式サイト バンダイナムコゲームス
  • エースコンバット7公式サイト バンダイナムコエンターテインメント

関連項目

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