大関 高増(おおぜき たかます)は、江戸時代前期の大名。下野国黒羽藩3代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長16年(1611年) |
死没 | 正保3年8月21日(1646年9月30日) |
墓所 | 栃木県大田原市の大雄寺 |
官位 | 従五位下、土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 下野黒羽藩主 |
氏族 | 大関氏 |
父母 | 父:大関政増、母:水野重央娘・しゃむ姫 |
兄弟 | 高増、(増広)、那須資重継室、(浄法寺茂明)室 |
妻 | 正室:分部光信娘 |
子 | 増親、増栄、増公(勘右衛門[1])、(増俊)、 屋代忠正正室、(村上正尚)室、(神尾守好)室、神谷某室、(浄法寺高政)室、(金丸資時)室、 杉原某室 |
慶長16年(1611年)、2代藩主・大関政増の長男として誕生。戦国時代の同名の人物の曾孫にあたる。
寛永10年(1633年)、(井上政利)や西郷正員、松平清昌と共に(大阪加番)に任じられる[2]。寛永13年(1636年)、植村泰朝と共に(駿府加番)に任じられた[3]。正保3年(1646年)、死去。享年36。
嫡男・増親が跡を継いだ。
系譜
父母
正室
- 分部光信の娘
子女
脚注
出典
- 『寛政重修諸家譜』(六百五十八)