大 道秀(だい どうしゅう、生没年不詳)は、靺鞨族出身の高麗の軍人。渤海国滅亡後、高麗に帰化していた。大道秀の肩書は、『遼史』には「礼部郎中」という文官として登場するが、高麗側の記録が伝える「中郎将」、そして「将軍」という武官を採るべきであり、最初から武官を本来の肩書として帯びた(文臣)より劣る(武臣)とみられる[1]。
大 道秀 | |
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各種表記 | |
日本語読み: | だい どうしゅう |
人物
『高麗史』によると、(第一次高麗契丹戦争)の際、大道秀は、契丹軍を(安戒鎮)で阻止することに成功した。(第二次高麗契丹戦争)では、西京の防衛に従事したが、保身をはかる同僚に欺かれてしまい、契丹軍に投降している[1]。