藩史
明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた御側御用取次役の水野忠友が、若年寄そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した。ちなみに水野忠友の系統は、かつて信濃松本藩7万石を領していた大名であったが、水野忠恒の時代に刃傷事件を理由に改易されていた。忠友はその忠恒の跡を継いだ水野忠穀の嫡男である。
安永3年(1774年)7月、忠友は田沼意次の四男を婿養子に迎えたことにより、意次との関係はさらに深まった。そのため安永6年(1777年)4月には側用人となる。その後、忠友は所領を駿河沼津藩に移され、新たに築城することも許されたため、大浜藩は廃藩となった。
ただし、水野家は明治時代まで三河に所領を領しており、陣屋も大浜に構えていた。
歴代藩主
- 水野家
- 水野忠友(ただとも)
脚注
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(351ページ)