伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
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大泉 寛三(おおいずみ かんぞう、1894年(明治27年)9月4日[1] - 1981年(昭和56年)2月4日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。参議院議員(1期)。
経歴
1917年、大泉工場(機械鉄鋼場)を創業。
1921年、立憲政友会入党。
1949年の第24回衆議院議員総選挙埼玉1区に民主自由党から立候補し、初当選。
1953年の第26回衆議院議員総選挙で、落選。
1960年、大沢雄一の第29回衆議院議員総選挙立候補に伴う第4回参議院議員通常選挙埼玉県地方区補欠選挙に立候補し、日本社会党の瀬谷英行を破り、初当選[3]。1962年の第6回参議院議員通常選挙で、瀬谷に敗れ落選。
1963年の第30回衆議院議員総選挙当選。
1964年、第3次池田改造内閣と第1次佐藤内閣で北海道開発政務次官を務める。
1967年の第31回衆議院議員総選挙落選。同年の秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[2]。