概要
豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。同地区の中では最北部に位置し、町域のほとんどが山間部で耕地がほとんど存在しない。町域南部に愛知県道353号大平折平線が走り、人家は県道沿いに疎らかに点在する。町域最南部にはサンエッグファーム株式会社の藤岡農場があり、町域中部には大岩川と共に藤岡北部第一浄水場がある。
大正期には、陶土の原料となる石粉の生産が盛んであった[4]。
歴史
沿革
- 江戸期- 寛永期の『(三河国村々高附)』においては「加茂郡大岩村」、天保期の(郷帳)においても「加茂郡大岩村」という表記が見受けられる[5]。
- 1635年(寛永12年)当時- 岡崎藩領であった[6]。
- 1868年(明治元年)- 大多喜藩領となる[6]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、大岩村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、大岩村、石畳村(いしだたみむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日- (市制・町村制)施行に伴い、大岩村、石畳村、折平村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、大岩村は高岡村大字大岩に継承される[4]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字大岩は藤岡村大字大岩に継承される[4]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字大岩に変更される[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市大岩町に変更される。
世帯数と人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
寺社
- 地蔵堂
- 1972年(昭和47年)建立。
文化財
城館跡
- 大岩城跡
その他
日本郵便
脚注
- 出典
- ^ a b c “豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b “大岩町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:258ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ a b c 『日本歴史地名体系』23:845ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北曾木村』である。
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。