概要
1984年(昭和59年)から現在の大字[4]。1889年(明治22年)から1984年(昭和59年)まであった大字上大原と大字下大原が統合されて成立した[4]。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
統合した町字
1984年(昭和59年)に以下の町字を統合。
- 上大原(かみおおはら)
- 1889年(明治22年)から1984年(昭和59年)まであった大字。鎧潟近くの低平地に位置する[5]。
- もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった上大原村の区域の一部。もとは木滑村の区域の一部で、寛永年間に上杉氏家臣であった笹崎甚右衛門が開発。1654年(承応3年)に木滑村から分村して成立した[5]。
- 下大原(しもおおはら)
- 1889年(明治22年)から1984年(昭和59年)まであった大字。鎧潟近くの低平地に位置する[6]。
- もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった下大原村の区域の一部。寛永年間に開発が始まり、1655年(明暦元年)に針ヶ曽根村から分立して成立した[6]。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | (新潟市立潟東小学校) | (新潟市立潟東中学校) |
主な企業・施設
- 新潟交通観光バス 潟東営業所
交通
道路
脚注
注釈
出典