大倉 恒吉(おおくら つねきち、1874年(明治7年)1月28日 - 1950年(昭和25年)11月17日)は、日本の実業家。大倉常吉商店(現・月桂冠)株式会社社長。11代目当主。伏見銀行、帝国酒造会社各重役[1]。
来歴
造り酒屋「笠置屋」の創業家、10代目大倉治右衛門の次男として伏見の大倉家本宅にて生まれる。1886年(明治19年)7月、兄が急死し、同年10月には父が他界したため、わずか数え年13歳にして家業を継ぐ[2]。月桂冠を銘柄として採用。
1907年(明治40年)、月桂冠北蔵に派遣された大蔵省醸造試験所の技官・(鹿又親)の助言により、研究所創設を着想。研究所創設に向け1908年(明治41年)12月、鹿又の紹介で東京帝国大学卒業の農学士・濱崎秀を採用し、1909年(明治42年)1月10日、「大倉酒造研究所」を創設[3]。株式会社大倉恒吉商店を設立する。