塚原村(つかはらむら)は、かつて富山県射水郡にあった村。旧・新湊市の南西部で、現在は射水市の西端に位置する塚原地区である。
歴史
由来
1456年の記録に「越中国塚原保」が確認できる。 塚原の地名の由来は定かではない。もともとこの地域は三歩市村(さんぶいちむら)と呼ばれており、少なくとも1596年より前に寺塚原村と沖塚原村に分離したとされている。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い射水郡寺塚原村、沖塚原村、松木村、東朴木村が合併し、塚原村が発足。村役場は大字寺塚原に置かれた[1]。
- 1922年(大正11年) - 村役場を松木に移転[1]。
- 1953年(昭和28年)10月5日 - 新湊市に編入され消滅。
新湊市への編入までの経緯
塚原村は当初、1950年6月に村議会で高岡市への合併を決議していた。高岡市では、塚原村の議会が紛糾し多数決となっていたことから、編入の受け入れに難色を示していた。新湊市の旧作道村と接しているから新湊市へという意見と、高岡市の旧牧野村と接しているから高岡市という意見が交錯する中で、1953年9月、合併についての臨時村総会が開かれ、多数決で新湊市への合併を決議、富山県は10月3日を以て新湊市への編入を告示した。新湊市への編入に反対していた人たちは、塚原地区分離期成同盟を作り、連日新湊市役所や県庁へ分離の陳情を重ね、1954年5月に塚原地区の住民が新湊市役所で七日間も座り込みを行い、1957年には小学校児童の登校拒否の手段を実行し、市長に分離を迫った。この様な運動は、1959年に新湊市と分離期成同盟会との間に覚書が交わされるまで続いた[2][1]。
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『新湊市史 近現代』 新湊市史編纂委員会 編 新湊市、1992年