源 通具(みなもと の みちとも)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。堀川大納言と号す。右大将・源通親の次男。官位は正二位・大納言。堀川家の祖。
経歴
主として後鳥羽院歌壇で活躍した。建仁元年(1201年)には和歌所寄人となり、同別当となる。
『新古今和歌集』の撰者の一人にも選ばれるが、父・通親の代理という意味合いが強い。
また「千五百番歌合」などに出詠し、『新古今和歌集』に入集しているが、後鳥羽上皇や親友・藤原定家からの歌人としての評価はあまり高くなかった。
親族・交友関係
後に妻の俊成卿女とは離別したが、藤原俊成の息子である定家とは親しく交際を続けた。定家は通具の父の通親とは対立していたが、通具死去の報を受けた際、深く悲しんだという。
官歴
出典[2]
- 文治元年(1185年)、因幡守に任ぜられる。
- 建久2年(1191年)、従五位上に進む。
- 建久4年(1193年)、右少将に任ぜられる。正五位下に進む。
- 正治元年(1199年)、従四位上に進む。
- 正治2年(1200年)、中将及び蔵人頭に任ぜられる。正四位下に進む。
- 建仁元年(1201年)、参議に任ぜられる。
- 建仁2年(1202年)、従三位に進む。備中権守に任ぜられる。
- 建仁3年(1203年)、正三位に進む。衛門府の督及び使別当に任ぜられる。
- 元久元年(1204年)、備中権守を辞する。
- 元久2年(1205年)、権中納言に任ぜられる。
- 建永元年(1206年)、右衛門督及び使別当を辞する。従二位に進む。
- 承元2年(1208年)、正二位に進む。踏歌続内弁となる。
- 承元4年(1210年)、中宮権大夫に任ぜられ、同年、これを辞する。
- 建暦元年(1211年)、中納言に任ぜられる。
- 建暦2年(1212年)、権大納言に任ぜられる。
- 承久3年(1221年)、奨学院別当となる。
- 貞応元年(1222年)、大納言に任ぜられる。
系譜
関連作品
- テレビドラマ
- 草燃える(1979年、NHK大河ドラマ) - 演:(真鍋敏宏)
脚注
注釈
出典
- ^ 中尾良信 2003, p. 51.
- ^ 野島寿三郎 1994, p. 905–906.
参考文献
- 野島寿三郎 編『公卿人名大辞典』日外アソシエーツ、1994年。
- 中尾良信 編『孤高の禅師 道元』吉川弘文館、2003年。ISBN (4-642-07853-3)。