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光岡早苗

光岡 早苗(みつおか さなえ、1935年1月5日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。本名同じ[3][5]。一時期(1965年 - 1966年)、城山 路子(しろやま みちこ)と改名した[1][3][4][5][11]。人気喜劇俳優花菱アチャコの恋人役に抜擢された『(初笑い寛永御前試合)』(1953年)でデビュー[3][5]美空ひばり片岡千恵蔵の主演作の脇役女優であったが[3][5][9]、黎明期の成人映画界に飛び込み、若松孝二監督の初期作『(歪んだ関係)』(1965年)[3]アメリカイギリスでも公開された『()(英語版)』(1966年)等の主演女優を務めたことで知られる[13][14][15]

みつおか さなえ
光岡 早苗
本名
生年月日 (1935-01-05) 1935年1月5日(88歳)
出生地 日本 京城府(現在の 大韓民国 ソウル特別市
職業 女優
ジャンル 劇場用映画喜劇映画時代劇映画成人映画)、テレビ映画教育映画
活動期間 1954年 - 1966年
1977年
事務所 新東宝
東映
主な作品
『(初笑い寛永御前試合)』(1953年)
『(歪んだ関係)』(1965年)
()(英語版)』(1966年)
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人物・来歴

新東宝から東映へ

1935年(昭和10年)1月5日、日本統治時代の朝鮮京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)に建築設計技師の光岡基衛・とみ夫妻の娘として生まれる[3][5][10]。1941年(昭和16年)4月、国民学校初等科(かつての尋常小学校)に同地で入学、1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終結の前後に日本に引き上げる[3][5]

1950年(昭和25年)4月、千葉県千葉市にあった新制高等学校・聖書学園高等学校(現在の千葉英和高等学校)に入学するも、翌1951年(昭和26年)早々に中途退学し、同年、東京都渋谷区代々木文化服装学院師範科に入学、同校在学中の1953年(昭和28年)、映画会社の新東宝にスカウトされ、「第2期スターレット」として同社に入社する[3][5]。同年12月28日に公開された、斎藤寅次郎監督の『初笑い寛永御前試合』に出演、主演の花菱アチャコの恋人・弥生役に抜擢されて、映画界にデビューしたとされる[3][5][8][10][11]。ただし東京国立近代美術館フィルムセンターの所蔵作品データベースによれば、それに先立つ同年12月13日に公開された田中絹代の初監督作であり、第7回カンヌ国際映画祭に出品された『恋文』に出演しており、光岡の名がクレジットに残っている[7]。その後、次第に脇に回り始め、1956年(昭和31年)いっぱいで東映に移籍した[3][5][7][8][9][10][11][12]

東映では当初、東映京都撮影所に在籍し、1957年(昭和32年)1月22日に公開された加藤泰監督の時代劇映画『(恋染め浪人)』が同社での最初の出演作である[3][5][7][8][9][10][11][12]。加藤泰の作品には、新東宝時代に『(逆襲大蛇丸)』(1955年)にすでに出演している[7]。翌1958年(昭和33年)早々に東映東京撮影所に異動、以降、数多くの映画に脇役・端役で出演する[3][5][7][8][9][10][11]テレビ映画にも出演しており、1962年(昭和37年)9月19日に放映された『特別機動捜査隊』第48回『ダイナマイト』(監督不明)ではゲスト主演を果たした[12]。同撮影所に在籍した6年間に、わかっているだけでも出演作は60作を超えている[3][5][7][8][9][10][11][12]。1964年(昭和39年)1月28日に放映されたテレビ映画『戦友』第18回『悲しき再会』(監督不明)にゲスト出演したのを最後に、東映を去った[3][5][7][8][9][10][11][12][16]

成人映画界へ転向

1964年4月に佐藤重雄が設立した映画製作会社・(轍プロダクション)が[2]大映東京撮影所を退社した水野洽を監督に起用して成人映画『(危険な人妻)』を製作、同年9月に公開されたが、光岡はこれに主演、以降、成人映画に転向する[3][5][8][11]。轍プロダクションでは同年12月に公開された『(女はそれを待っている)』(監督(経堂三郎))にも主演[8][11][17]本木荘二郎の(シネユニモンド)が製作・配給、本木が高木丈夫の名で監督、同年10月14日に公開した『(洋妾 らしゃめん)』、同じく公開日不明の『(白い手袋の秘密)』に主演している[8][11][17]。本木の『洋妾 らしゃめん』を光岡の成人映画転向第1作とする資料もある[3]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、(橘桂子)、城山路子、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実、(朝日陽子)、火鳥こずえ、(華村明子)、森美沙、(湯川美沙)、光岡早苗、路加奈子、(有川二郎)、(里見孝二)、川部修詩佐伯秀男を挙げているが[2]、城山路子と光岡早苗は同一人物であり、重複している[3][4][5][11]

同年11月に(後藤充弘)が設立した(葵映画)[2]が第1作として製作した『(赤い肌の門)』の監督に『危険な人妻』の水野洽が起用されて片岡均の名で監督、同作の主演に光岡が起用され、同作は翌1965年(昭和40年)1月、葵映画が配給して公開された[3][4][11]。光岡は同作をもって城山 路子と改名する[1][3][4][5][11]。当時、光岡は、中野区城山町(現在の同区中野1丁目[18])に住んでいた[16]。同じころNHK大阪放送局から葵映画に引き抜かれた西原儀一は、入社第1作として『(激情のハイウェー)』を監督しているが、当時の映倫(新映倫、映画倫理管理委員会)の削除基準を知り、急遽、当時としては短いわずか3日間の撮影期間と低予算で『(いろ地獄)』の製作を計画、城山(光岡)は同作の主演に起用された[1][3][4][5][11]。映倫は同作を一般映画のサスペンス映画として評価、作品の評価も高かったが、成人映画として売り出したかったため、困ったと西原は後述している[4]。同作は同年7月に映倫の審査を通過して成人映画にレイティングされ、同年9月7日に公開された[1][3][4][5][11]。城山(光岡)はその後も葵映画で、水野洽が片岡均の名で監督した『(流転の愛欲)』(1965年9月公開)、西原儀一が千葉隆志の名で監督した『(くずれる女)』(1966年4月5日公開)の2本に出演、いずれも主演した[1][4][5][11]

1966年(昭和41年)8月に公開された『餌』(監督向井寛)に出演したのを最後に、引退した[3]。引退時期に公開された最後の作品は、同年10月に公開された『(女の砦)』(監督片岡均)、『(人妻の秘密)』(監督山本晋也)である[8][11]。以降は、東中野でバーを経営していたが[3][19]、1977年(昭和52年)、小川欽也が小川和久の名で監督した『(熟れた夫人の乱れ咲き)』(製作・配給大蔵映画)に「光岡早苗」の名で出演している[11]。同作は同年6月28日に公開された[3]。光岡が経営したバーは、2005年(平成17年)の時点で経営者であった隆見夏子(小林悟夫人・初枝)によれば、ある時点で映画監督の小林悟(1930年 - 2001年)が同店の経営を引き継いだという[19]。その後の光岡の消息は不明である。2008年(平成20年)、アメリカで『餌』のフィルムが発見され、同年5月13日にDVDが発売された[14][15]

フィルモグラフィ

 
女真珠王の復讐』(監督志村敏夫)のポスター、1956年7月5日公開。
 
点と線』(監督小林恒夫)のポスター、1958年11月11日公開。

クレジットはすべて「出演」である[1][3][5][7][8][9][10][11][12][13]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[7]

新東宝

  • 恋文』 : 監督田中絹代、製作・配給新東宝、1953年12月13日公開 - 出演、97分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(初笑い寛永御前試合)』 : 監督斎藤寅次郎、主演花菱アチャコ、製作・配給新東宝、1953年12月28日公開 - 弥生(デビュー作[5]
  • 『(一等マダムと三等旦那)』 : 監督小森白、主演轟夕起子、製作・配給新東宝、1954年4月13日公開 - 清水地図子
  • ハワイ珍道中』 : 監督斎藤寅次郎、製作・配給新東宝、1954年9月14日公開 - 出演、86分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(エノケンの天国と地獄)』 : 監督佐藤武、製作・配給新東宝、1954年10月12日公開 - マサ子
  • 日本敗れず』 : 監督阿部豊、製作・配給新東宝、1954年10月26日公開 - 出演、102分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(逆襲大蛇丸)』 : 監督加藤泰、製作・配給新東宝、1955年1月3日公開 - 出演、70分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(忍術児雷也)』 : 監督萩原遼、製作・配給新東宝、1955年1月3日公開 - 出演、80分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 番場の忠太郎』 : 監督中川信夫、主演山田五十鈴若山富三郎、製作・配給新東宝、1955年3月29日公開 - お登世、86分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(森繁のペテン王 わが名はペテン師より)』 : 監督渡辺邦男、製作・配給新東宝、1955年8月14日公開 - 出演、91分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(息子一人に嫁八人)』 : 監督志村敏夫、主演宇津井健、製作・配給新東宝、1955年12月6日公開 - 千代菊
  • 『(社長三等兵)』 : 監督志村敏夫、主演田崎潤、製作・配給新東宝、1956年3月6日公開 - 富田徳子
  • 『(続・君ひとすじに)』 : 監督志村敏夫、主演久保菜穂子、製作・配給新東宝、1956年5月1日公開 - 中塚琴美
  • 女真珠王の復讐』 : 監督志村敏夫、主演前田通子、製作・配給新東宝、1956年7月5日公開 - 戸田美代
  • 新妻鏡』 : 監督志村敏夫、主演池内淳子、製作・配給新東宝、1956年9月26日公開 - 女中きく
  • 『(軍神山本元帥と連合艦隊)』 : 監督志村敏夫、主演佐分利信、製作・配給新東宝、1956年10月31日公開 - 小田光子[11](小田米子[10]

東映

  • 『(恋染め浪人)』 : 監督加藤泰、主演大友柳太朗、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年1月22日公開(映倫番号 10005) - おはや
  • 『(さけぶ雷鳥)』 : 監督内出好吉、主演(尾上鯉之助)、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年6月4日公開(映倫番号 10190) - 島琴路
  • 『(さけぶ雷鳥 第二部)』 : 監督内出好吉、主演尾上鯉之助、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年6月10日公開(映倫番号 10191) - 島琴路
  • 『(さけぶ雷鳥 解決篇)』 : 監督内出好吉、主演尾上鯉之助、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年6月18日公開(映倫番号 10192) - 島琴路
  • 『(素浪人忠弥)』 : 監督佐伯清、主演片岡千恵蔵、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年8月20日公開(映倫番号 10271) - 湯女お園
  • 『(曲馬団の娘)』 : 監督小石栄一、主演中村雅子、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年2月19日公開(映倫番号 10418) - よし子
  • 『(少年探偵団 透明怪人)』 : 監督小林恒夫、主演波島進、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年2月25日公開(映倫番号 10539) - 島田あき子
  • 『(デン助の陽気な靴みがき)』 : 監督伊賀山正光、主演大宮敏光、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年6月3日公開(映倫番号 10669) - サリー
  • 警視庁物語 魔の伝言板』 : 監督村山新治、主演神田隆、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年6月22日公開(映倫番号 10608) - 横瀬の情婦
  • 『(空中サーカス 嵐を呼ぶ猛獣)』 : 監督小石栄一、主演高倉健、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年8月12日公開(映倫番号 10748) - バアのマダム
  • 『(波止場がらす)』 : 監督伊賀山正光、主演南廣、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年10月8日公開(映倫番号 10816) - お時
  • 点と線』 : 監督小林恒夫、主演南廣、製作東映東京撮影所、配給東映、1958年11月11日公開(映倫番号 10902) - とみ子、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(家族音楽会)』 : 監督(田代秀治)、製作・配給(東映教育映画部)、1958年発表 - おばさん役、49分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]東映チャンネルで放映[20]
  • 『(盗まれた虚栄)』 : 監督(豊田敬太)[7]、製作・配給東映教育映画部、1958年発表、NETテレビが1959年6月18日放映 - 主演、22分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(母しぐれ)』 : 監督(和田篤人)、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年1月28日公開(映倫番号 11038) - 出演
  • 『(特ダネ三十時間 深夜の挑戦)』 : 監督村山新治、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年3月10日公開(映倫番号 11085) - 出演
  • 『(素晴らしき娘たち)』 : 監督家城巳代治、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年6月16日公開(映倫番号 11078) - 柳下ひろ、100分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 疑惑の夜』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年6月30日公開(映倫番号 11271) - 出演
  • 『(父と娘)』 : 監督小石栄一、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年7月7日公開(映倫番号 11278) - 出演
  • 『(埠頭の縄張り)』 : 監督佐伯清、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年7月22日公開(映倫番号 11316) - 出演
  • 『(べらんめえ探偵娘)』 : 監督佐伯清、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年9月23日公開(映倫番号 11386) - 出演
  • 高度7000米 恐怖の四時間』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年9月30日公開(映倫番号 11367) - 出演
  • 『(特ダネ三十時間 午前零時の顔)』 : 監督(若林栄二郎)、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年10月13日公開(映倫番号 11329) - 出演
  • 『(特ダネ三十時間 拾った牝豹)』 : 監督若林栄二郎、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年10月20日公開(映倫番号 11328) - 出演
  • 『(べらんめえ芸者)』 : 監督小石栄一、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年12月6日公開(映倫番号 11489) - 出演
  • 『(スピード狂時代 命を賭けて)』 : 監督(島津昇一)、製作東映東京撮影所、配給東映、1959年12月20日公開(映倫番号 11471) - 出演
  • 『(天下の快男児 万年太郎)』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年1月15日公開(映倫番号 12010) - 出演
  • 『(続べらんめえ芸者)』 : 監督小石栄一、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年3月1日公開(映倫番号 11849) - 出演、83分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • ずべ公天使』 : 監督小沢茂弘、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年3月15日公開(映倫番号 11535) - 出演
  • 『(拳銃を磨く男 呪われた顔)』 : 監督伊賀山正光、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年4月12日公開(映倫番号 11609) - 出演
  • 『(多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ)』 : 監督小沢茂弘、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年4月26日公開(映倫番号 11720) - 出演
  • 『(消えた密航船)』 : 監督村山新治、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年5月3日公開(映倫番号 11457) - 出演
  • 『(おれたちの真昼)』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年5月31日公開(映倫番号 11651) - 出演
  • 警視庁物語 血液型の秘密』 : 監督(飯塚増一)、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年6月7日公開(映倫番号 11766) - 出演
  • 『(続ずべ公天使 七色の花嫁)』 : 監督小石栄一、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年6月14日公開(映倫番号 11687) - 出演
  • 警視庁物語 聞き込み』 : 監督飯塚増一、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年6月21日公開(映倫番号 11761) - 出演
  • 『(東から来た流れ者)』 : 監督和田篤人、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年6月29日公開(映倫番号 11559) - 出演
  • 『(十七才の逆襲 暴力をぶっ潰せ)』 : 監督日高繁明、製作第二東映東京撮影所、配給第二東映、1960年7月6日公開(映倫番号 11891) - 出演
  • 『(天下の快男児 突進太郎)』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年7月13日公開(映倫番号 11829) - 出演
  • 『(十七才の逆襲 向う見ずの三日間)』 : 監督日高繁明、製作第二東映東京撮影所、配給第二東映、1960年8月24日公開(映倫番号 11938) - 出演
  • 『(風流深川唄)』 : 監督山村聰、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年9月13日公開(映倫番号 11941) - 出演、87分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』 : 監督日高繁明、製作第二東映東京撮影所、配給第二東映、1960年10月19日公開(映倫番号 11921) - 秋子、76分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(不良少女)』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年10月23日公開(映倫番号 11993) - 出演
  • 『(よわ虫つよ虫)』 : 監督(津田不二夫)、製作・配給東映教育映画部、1960年発表 - 出演、30分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(べらんめえ芸者罷り通る)』 : 監督小石栄一、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1961年1月9日公開(映倫番号 12116) - 松子
  • 警視庁物語 不在証明』 : 監督島津昇一、主演神田隆、製作東映東京撮影所、配給東映、1961年1月26日公開(映倫番号 12100) - 妻のぶ
  • 警視庁物語 十五才の女』 : 監督島津昇一、主演神田隆、製作東映東京撮影所、配給東映、1961年2月1日公開(映倫番号 12101) - 妻のぶ
  • 『(不敵なる脱出)』 : 監督(相野田悟)、製作第二東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年2月22日公開(映倫番号 12001) - 出演
  • 『(若い涙を吹きとばせ)』 : 監督小林恒夫、製作東映東京撮影所、配給東映、1961年3月7日公開(映倫番号 12218) - 出演
  • 『(アマゾン無宿 世紀の大魔王)』 : 監督小沢茂弘、主演片岡千恵蔵、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年4月21日公開(映倫番号 12322) - 精神病院の看護婦
  • 『(がめつい奴は損をする)』 : 監督小石栄一、主演石井均、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年5月10日公開(映倫番号 12243) - なか子、59分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(べっぴんさんに気をつけろ)』 : 監督小石栄一、主演石井均、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年5月17日公開(映倫番号 12242) - みどり
  • 『(次郎長社長と石松社員)』 : 監督瀬川昌治、主演進藤英太郎、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年5月21日公開(映倫番号 12355) - 女給カオル
  • 『(魚河岸の女石松)』 : 監督工藤栄一、主演美空ひばり、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年5月31日公開(映倫番号 12217) - ビート喫茶のマダム
  • 『(霧と影)』 : 監督石井輝男、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年8月26日公開(映倫番号 12503) - 飲み屋のおかみ
  • 『(万年太郎と姐御社員)』 : 監督小林恒夫、製作ニュー東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年10月7日公開(映倫番号 12513) - 出演
  • 『(べらんめえ芸者と大阪娘)』 : 監督渡辺邦男、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1962年2月7日公開(映倫番号 12670) - テレビのコマーシャルガール
  • 『(誇り高き挑戦)』 : 監督深作欣二、主演鶴田浩二、製作東映東京撮影所、配給東映、1962年3月28日公開(映倫番号 12684) - ロバートの秘書、89分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 太平洋のGメン』 : 監督石井輝男、主演片岡千恵蔵、製作東映東京撮影所、配給東映、1962年4月22日公開(映倫番号 12774) - バーの女A、86分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 特別機動捜査隊』第48回『ダイナマイト』 : 監督不明、製作東映テレビプロダクション/NETテレビ、1962年9月19日放映(テレビ映画)
  • ミステリーベスト21『(濁った陽)』 : 監督島津昇一、製作東映/NETテレビ、1962年12月28日放映(テレビ映画)
  • 『(ある日のバス通り裏 拾ったハンドバッグ)』 : 監督太田浩児、企画住友銀行、製作東映商事、1962年発表(PR映画) - 岡本さん
  • 『(べらんめえ芸者と丁稚社長)』 : 監督渡辺邦男、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1963年1月23日公開(映倫番号 13062) - 若葉
  • 『(民謡の旅 秋田おばこ)』 : 監督渡辺邦男、主演美空ひばり、製作東映東京撮影所、配給東映、1963年6月9日公開(映倫番号 13179) - 梨枝
  • 警視庁物語 十代の足どり』 : 監督佐藤肇、主演神田隆、製作東映東京撮影所、配給東映、1963年7月7日公開(映倫番号 13037) - 女教師
  • やくざの歌』 : 監督(若林幹)、主演千葉真一、製作東映東京撮影所、配給東映、1963年9月8日公開(映倫番号 13318) - 朱実
  • 『(ギャング忠臣蔵)』 : 監督小沢茂弘、主演片岡千恵蔵、製作東映東京撮影所、配給東映、1963年10月20日公開(映倫番号 12979) - 芸者A
  • 戦友』第18回『悲しき再会』 : 監督不明、製作東映テレビプロダクション/NETテレビ、1964年1月28日放映(テレビ映画)

脱・大手以降

  • 『(危険な人妻)』 : 監督水野洽、製作・配給(轍プロダクション)、1964年9月公開(成人映画・映倫番号 13777) - 主演
  • 『(洋妾 らしゃめん)』 : 監督高木丈夫、製作・配給(シネユニモンド)、1964年10月14日公開(成人映画・映倫番号 13710) - 主演、67分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 『(女はそれを待っている)』 : 監督(経堂三郎)、製作・配給轍プロダクション、1964年12月公開 - 主演、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリーが70分の上映用プリントを所蔵[17]
  • 『(白い手袋の秘密)』 : 監督高木丈夫、製作・配給シネユニモンド、1965年公開 - 主演
  • 『(赤い肌の門)』 : 監督片岡均(水野洽)、製作・配給(葵映画)、1965年1月公開(成人映画・映倫番号 13826) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(盗まれた肌)』 : 監督(宮口圭)、製作・配給轍プロダクション、1965年2月公開(成人映画・映倫番号 13800) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(狙われた新妻)』 : 監督(星合雅人)(星谷雅人)、製作・配給シネユニモンド、1965年5月公開(成人映画・映倫番号 13968) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(いろ地獄)』 : 監督西原儀一、製作・配給葵映画、1965年7月審査(成人映画・映倫番号 14084)・同年9月7日公開 - 重美役・「城山路子」名義
  • 『(悪の痴態)』 : 監督東史朗、製作あづまプロダクション、配給国映、1965年7月公開 - 主演・「城山路子」名義
  • 『(処女未亡人)』 : 監督片岡均(水野洽)、製作紫水プロダクション、配給(東京三映社)、1965年8月公開 - 主演・「城山路子」名義
  • 『(流転の愛欲)』 : 監督片岡均(水野洽)、製作・配給葵映画、1965年9月公開 - 主演・「城山路子」名義
  • 『(歪んだ関係)』 : 監督若松孝二、製作・配給国映、1965年9月公開(成人映画・映倫番号 14180) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(女の性)』 : 監督高木丈夫、製作シネユニモンド、配給明光セレクト、1965年10月5日公開(成人映画・映倫番号 14175) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(肌のあやまち)』 : 企画(菜穂進)、監督山下治、製作ナオプロダクション、配給国映、1965年11月公開(10月公開とも、成人映画・映倫番号 14230) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(夜ごとの牝猫)』 : 監督小川欽也、製作・配給大蔵映画、1965年11月23日公開(成人映画・映倫番号 14256) - 加藤邦子役(主演)・「城山路子」名義
  • 『(蠢き)』 : 監督(増田健太郎)、製作(日芸新社)、配給国映、1965年12月公開 - バーのマダム洋子役(主演)・「城山路子」名義
  • 『(未亡人日記)』 : 監督沢賢介、製作レンジャー、配給センチュリー映画社、1966年1月公開(1965年12月公開とも、成人映画・映倫番号 14324) - 祖父江貴子役(主演)・「城山路子」名義
  • 『(よろめき)』 : 監督(石山堅)[1](石山聖[8][11])、製作・配給シバタフィルム、1966年3月8日公開(成人映画・映倫番号 14377) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(くずれる女)』 : 監督千葉隆志(西原儀一)、製作・配給葵映画、1966年4月5日公開(成人映画・映倫番号 14435) - 主演・「城山路子」名義
  • 『(浮気虫)』 : 監督山下治、製作・配給双映、1966年6月公開 - 主演・「城山路子」名義
  • 『(未知のセックス)』 : 監督山下治、主演香取環、製作双映、配給ワールド映画、1966年8月公開 - 出演・「城山路子」名義[13]
  • 『(泣き濡れた処女)』 : 監督(飛田良)、製作(ヤマベプロダクション)、配給大蔵映画、1966年8月公開(成人映画・映倫番号 14595) - 松江役・「城山路子」名義
  • ()(英語版)』 : 監督向井寛、製作(東京芸術映画)、1966年8月公開 - 藤川静枝役・「城山路子」名義、米国でDVD発売[15]
  • 『(女の砦)』 : 監督片岡均(水野洽)、製作(光映画)、配給大蔵映画、1966年10月公開(成人映画・映倫番号 14646) - 出演・「城山路子」名義
  • 『(人妻の秘密)』 : 監督山本晋也、製作(青年群像)、配給明光セレクト、1966年10月公開(成人映画・映倫番号 14695) - 出演・「城山路子」名義
  • 『(熟れた夫人の乱れ咲き)』 : 監督小川和久(小川欽也)、製作・配給大蔵映画、1977年6月28日公開(成人映画・映倫番号 19112)

ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書等にみる書誌である[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 年鑑[1967], p.325-333.
  2. ^ a b c d 田中[1976], p.85-86.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z キネ旬[1980], p.647.
  4. ^ a b c d e f g h i 西原・円尾[2002], p.146-147, 300.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 光岡早苗jlogos.com, (エア)、2014年7月23日閲覧。
  6. ^ a b 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2014年7月23日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 光岡早苗東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年7月23日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 光岡早苗、日本映画情報システム、文化庁、2014年7月23日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h 光岡早苗日本映画製作者連盟、2014年7月23日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 光岡早苗KINENOTE, 2014年7月23日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 光岡早苗日本映画データベース、2014年7月23日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g 光岡早苗テレビドラマデータベース、2014年7月23日閲覧。
  13. ^ a b c d Sanae MitsuokaMichiko Shiroyamaインターネット・ムービー・データベース (英語)、2014年7月23日閲覧。
  14. ^ a b Krafsur[1976], p.94.
  15. ^ a b c The Bite - IMDb(英語)、2014年7月23日閲覧。
  16. ^ a b 年鑑[1964] p.684.
  17. ^ a b c 金曜上映会のお知らせ 1月-3月、山形国際ドキュメンタリー映画祭、2003年1月17日付、2014年7月23日閲覧。
  18. ^ 本間[1983], p.53.
  19. ^ a b お店案内…『リズ』、隆見夏子、2005年10月14日付、2014年7月23日閲覧。
  20. ^ 家族音楽会、東映衛星放送、2014年7月23日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

画像外部リンク
  白い手袋の秘密
1965年公開
((シネユニモンド))
  いろ地獄
1965年9月7日公開
((葵映画))
  歪んだ関係
1965年9月公開
国映
 
1966年8月公開
((東京芸術映画)・米国版ポスター)
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