経歴
安政3年(1856年)8月2日、第10代藩主・土方雄興の娘婿に当たる(土方久己)の長男として生まれる。久己(半三郎)は、菰野藩の分家近江の部田1千石の旗本[2]。明治3年(1870年)8月22日、5歳違いの従兄の第12代藩主・雄永の養子となり、同年9月17日、病弱な雄永は隠居し、雄志が家督を相続する。同日、従五位に叙任し、知藩事に就任した。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で藩知事を解任された。同年10月15日、東京へ移り、同年11月、英学を学ぶために慶應義塾に入学する。明治11年、工部省御用掛となった。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。(貴族院子爵議員)を明治23年(1890年)7月10日から同30年(1897年)7月10日まで在任[4]。明治32年(1899年)、台湾総督府樟脳局書記などを務める。その後、再度、貴族院議員を大正7年(1918年)7月10日[5]から大正14年(1925年)7月10月まで務める[4]。
大正14年(1925年)11月、甥で養子の雄武に家督を譲って隠居する。雄武の実父・土方久徴は雄志の14歳下の実弟で日本銀行第12代総裁。昭和6年(1931年)4月24日に死去した。享年76。
栄典
系譜
父母
- (土方久己)(実父)
- 土方雄永(養父)
妻
- 阿部多子 ー 阿部正備の娘
養子
脚注
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、(ISBN 4816912843)