略歴
寛保元年(1741年)10月7日、第3代藩主・土井利寛の長男として江戸筋違橋の上屋敷で生まれる。しかし側室の坂上氏の間に生まれた庶子であったことから、家老の(田村俊似)に預けられて養育され、名も田村岩之助と名づけられた。
延享2年(1745年)5月、土井に復姓することを許され、土井千之助と名乗る。12月には土井家の世子に指名された。延享3年(1746年)、父の死去により跡を継いだ。しかし幼年のため、しばらくは田村俊似が補佐を行なった。宝暦5年(1755年)12月、従五位下、能登守に叙任する。
宝暦9年(1759年)に大坂加番となる。藩政においては洪水や凶作、火事が連年のように相次いで財政難に見舞われた。このため、天明3年(1783年)に勝手向御用掛を創設して財政改革を行なうが、厳しい年貢増収を行なったため、天明7年(1787年)6月や寛政元年(1789年)閏6月に百姓一揆が起こって失敗した。また、(面谷鉱山)の開発も行なったが失敗した。
文化2年(1805年)11月8日、養子の利義に家督を譲って隠居し、文化4年(1807年)11月5日に江戸目白の下屋敷で死去した。享年67。
系譜
父母
- 土井利寛(父)
- 授光院 ー 坂上氏、側室(母)
正室
- 清光院 ー 酒井忠恭の娘
側室
- 真日院
- 富田氏
子女
- (土井利濱)(次男)
- お松 ー 土井利義室
養子